00760001.JPG公開研究会の際の雑誌掲載
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校長先生よりうれしいお言葉を頂きました

●船橋市教育委員会指定「健康教育」を研究していく中で、松田さんの理念に出会うことができました。反抗的で大人の忠告にも耳を貸さなかった6年生が松田さんの授業を聞き、涙している姿を目の当たりにしました。 無駄な命は一つもなく選ばれた命である・・・・・的確な手作りの資料をもとに語りかける先生の「命の授業」を一人でも多くの子どもに触れ合わせてあげたい気持ちでいっ
ぱいです。 「心の教育」が叫ばれています。日本中の子供が松田さんの授業に触れてほしいと切望します。

●いのちの授業
「わたしのいのち」という主題のもとに講師の松田洋子先生をお招きして6年生を対象に授業を行ないました。ゲストティーチャーとして〇〇先生にもご協力いただきました。30名ほどの保護者も参観する中での授業でありましたが、正味2時間という長さを感じさせない大変中身の濃い授業であったと思います。この内容なら中学生にも十分通用するものであり、またさらに続編を見たくなりました。 松田先生は教具や資料をねらいに沿って準備しそれを上手に提示していました。言葉も精選されてはぎれよく、子供たちへの質問量も適度であり、時折ユーモアを交えるなどいつのまにか引き込まれてしまう授業であったと思います。〇〇先生、〇〇先生、〇〇先生が船橋の研究会に参加したことが契機でこの企画の実行になったわけですが、先進校視察を時間を置かずに本校の研究に具体的に生かしたことはとりわけ良いものでした。時期をはずすと感動や印象が色あせてしまい、そのうちやらなくなってしまうものです。良いものは即取り入れる、この積極性があったからいい授業に出会えたと思います。 わたしもいろいろな授業をこれまでに見て心に残る授業はありました。まちがいなく今回の「いのちの授業」はその中に入りました。企画・実行された先生方に感謝いたします。この経験から思うことは、教師の行なう授業は毎時間全てがすばらしい内容でなくても好きな教科・領域・単元はどんな教師も持っているはずであり、そこの部分については自分オリジナルな指導方法やこだわりで徹底して深く教えることが大切であるということです。全てが平均点よりもむしろそちらの方が子供にとってもいい影響を及ぼすと思います。 教育畑とはまったく違った人の専門性やこだわりは子供たちにちゃんと響くということをあらためて認識した2時間でした。


船橋市総合教育センターにおいて「心の教育」講座(いのちの授業)を行ないました。市内の小・中学校、約120人の先生方にお集まりいただき、性と心の教育「いのちの授業」をすすめていくうえで、その根底にあるもの、そしてその指針についてお話させていただきました。そしていのちを大切に思い、また生きていくことのすばらしさを探求する真の心があれば必ずすばらしい性教育ができるということもお話させていただきました。

本講座の進行を進めていく上で船橋市総合教育センターの先生方、船橋市役所児童育成課の方々、ゲストのお母さん・赤ちゃんのご協力があったことは言うまでもありません。有意義な時間をすごさせて頂きましてたいへんありがたく、とても感謝しております。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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性教育についての観念


 性教育に関して私たち大人は決して童心を忘れることなく、時には子供たちのお姉さんお兄さんになり、すこし先に生まれて ほんの少しを子供たちより知っているだけのことだと思ってください。
 指導の観点からではなく、いのちの大切さにふれる喜びを子供たちがお互いがお互いを魅了できるようにおはなしをしてあげてください。

助産師が考える虐待について


 本来母親からの虐待などに関しての問題について私たちは、本来児の生育状況を一番把握し、児の一番の頼りであると自ら認識している母親からの虐待は、時代の背景や、おかれている環境、その他突然の心の異変にほかなりません。結果的にそのような状況になってしまったとはいえ、妊娠発覚直後より児を大切に280日間大切に守り、苦しい出産をむかえたことはその母子に関して言えば敬意そのものでありましょう。あの出産のときの感動や母性がやどった時期を今一度思い出させてあげてください。心の扉を先生方のお力で開いてあげてください。児の母親ですから先生方のノックに必ず気づいてくれます。どうぞ、先生の方々でそんなお母さんの心の苦しみを救ってあげてください。

性教育に関して


 性教育授業は、一般的に男の人と女の人との身体のちがいについての学習ですが、あらゆる角度から見た時にそのおとなの人の身体の学習を受け入れる準備ができていないとせっかくの授業もただ漠然と聞いているだけの授業になってしまいます。そこで私は必ず授業参観形式にさせて頂いております。それは、虐待や家庭内暴力、人工妊娠中絶問題や自殺等の問題を想定し、お母さん・お父さん・周囲の優しい大人たちのあたたかく見守る情景は、これからだんだんと大人になっていく子供たちへの怖さや違和感をとりのぞく雰囲気といえます。
 授業中、その途中途中でなみだが出てきてしまう子供たちもなかにはいます。児童本人の話によると「今朝学校に来る時、ママと口げんかしてしまった」とのことでした。きっと子供たちの胸の中では母親や父親への想いがあふれるばかりになっているのでしょう。だからひとりひとりの子供たちの変化に気をつけて行なってください。

母親がいないのに母親との絆を話してもよいのか


 自分は母親と父親との間に生まれてきてはいるけれどもこの話を聞いて自分にはいないということで寂しさや重圧感だけが増すよりも、実際奇跡の確率で生まれてきた自分にも、そしてお母さんにも熱くこみ上げてくる気持ちをいっそう大切にしてくれる気持ちが生まれてくるはずです。そして必ず子供たちが授業を聞き進めていくうちに「僕たち、私たちはお母さんとお父さんの愛情の中で生まれてきた奇跡の子供なんだ」と必ず理解してくれるはずです。そして子供たちの心のケアを地域を含めてみんなで一生懸命に大切に守っていくという観点からも“いのちの授業”は必要なのです。

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