古典テクスト読解教室

1. ルソー『社会契約論』を読む
1. ルソー『社会契約論』を読む

2. ホッブズ『リヴァイアサン』を読む
3. ロック『統治二論』を読む
4. マキアヴェリ『君主論』を読む
5. ミル『自由論』・『代議制統治論』を読む
6. 断片集

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政治哲学
エッセイ集
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 学部1年生のときルソーの『社会契約論』を読んだのが、政治思想・政治哲学の古典に触れた最初の経験でした。しかしそれは、わくわくというよりも困惑の経験でした。高校の倫理社会や政治経済、大学の西洋政治思想史の教科書で説明されていたルソーと、実際にルソーのテクストで述べられていることが、うまくかみ合っていないように思えたからです。
 ルソーは民主主義の思想家だと教科書には書かれていましたが、ルソー本人は、民主政が可能なのは神々だけだと言っていました。ルソーはまた、市民が政治に直接的に参加する直接民主主義の先駆者だとされていました。ルソーがイギリスの代表制を批判して、「主権は代表されない」と論じていたのはたしかです。しかし、「直接民主主義」という言葉は一切使っていません。どう考えたらよいのか、本当にわからなくなりました。
 今の私なら、はっきりと言えます。教科書がルソーを読み損ねていたのです。そんなことがありえるのか、と思われるかもしれません。でも、専門家ですら、歴史的事実に関する特定の見方や説明の仕方に自分が縛られていることに自覚がなかったり、自覚が不十分だったりすると、読み違いはありえますし、また、もっと目立たない形なのでそれだけ厄介なのですが、読み飛ばしや読み落としもありえます。もちろん、こうしたことは、私も含めて誰もが特権的に免れているわけではありません。できることは、また、すべきことは、自他のいずれの説明にせよ、気づいたら率直に見直して訂正することだと思います。
 そういう見直しにまとまった形で取り組みたいと思いながら、なかなか着手できませんでした。大学を定年退職し、ようやく時間に余裕ができたので、古典テクストを20代前半の若者と一緒に読むつもりで、というか、若かったあの頃の自分を相手にするつもりで、この長年の課題に取り組んでみたいと思います。
 実際に読解を始める前に、ここでの意図について、もう少し補足しておきましょう。
 言うまでもなく、それぞれの古典的著書に関しては、すでに専門的研究の膨大な蓄積があります。そうした研究の一部と縁あって出会い、そこから教えられ私の読解に取り入れたところもありますが、しかし、各思想家の専門家ではない私には、それぞれに関する膨大な先行研究をきちんと消化して紹介することなど、到底できる話ではありません。
 ですから、専門家向けに書くなどという、大それたことはまったく考えていません。私が試みたいと思っているのは、専門家が専門家に向けて書いているものと、教科書や一般向けの書物とのあいだにますます広がっているギャップを埋めるために、一般の人々(の中で古典がちょっと気になっている人)に向けて書くことです。実際にどこまで読んでもらえるかはわかりませんが、少なくともそのつもりで取り組みたいと思っています。
 ネットで検索してみればわかりますが、私の中高大学生時代と変わらないような説明が、ルソー、ホッブズ、ロック、あるいはその他の政治思想家に関しても、依然として満ちあふれています。受験や単位を取るためにはまだ役に立つのかもしれません(私の説明をコピペした答案では落第する可能性が、まだ大きいでしょう)。しかし、それらは、古典の歴史的理解という点では専門的研究の現在の水準から見て完全に賞味期限切れですし、また、政治を深く考える手がかりという点での効能も疑わしく思えます。そうしたものでわかった気にならず、もっと多くの人々、とくに若い世代の人々に、古典をじかに手にして自分自身でいろいろと考えてもらえたら、私の試みに刺激を受けてそういう気になってくれる人が少しでもいてくれたら、と願っています。
 限られた時間、材料、力量で取り組むことですから、読み落としや読み違いも少なからずあるでしょう。私が提供できるものは、踏み台でしかありません。でも、できるだけ踏みごたえのある踏み台になれればと思います。そのために、ともかく、自分の目で見て自分の頭で考えることにエネルギーと時間を集中させてきました。自分がよくわかっていないことや納得できないことを、偉い学者や専門家が言っているからといって、そのままに口伝えするようなことは、けっしてしていません。
 私の披露する読解や推理を、「えっ、そんなこと言えるの?」、「そうじゃなくてこうでしょ」という感じで、スリルを味わい楽しみながら乗り越えていっていただければ本望です。