ルソーの実践的意図 ―『山からの手紙』に注目
ルソーの実践的意図 ―『山からの手紙』に注目

22歳の頃の私、みたいな学生:
『社会契約論』を初めて、自力で何とか一通り読んでみました。 でも、やはりわからないことがたくさんありました。政治思想史の教科書も何冊か調べてみたのですが、実際のテクストとのギャップがいろいろとあって、余計に何が何だかわからなくなってしまいました。
今の私、みたいな教師:
『社会契約論』に限らず、しっかりした内容だという定評のある古典を読むときには、まず、これは何のために書かれたのか、どんな問題を解決しようとして書かれたのかを考えてみるのがお勧めです。教科書もこの点をしっかり意識したもの選ぶとよいのですが、実は、なかなかないんですね。
学生:フランス革命の思想や論理を先取りした民主主義者の作品、という説明が多いように思います。 教師:それは、後世の視点からの位置づけや評価であって、ルソー本人の問題意識や意図の説明ではないんです。ルソーはフランス革命以前に亡くなっているし、それに、ルソーはフランス語で書いてはいますが、彼が生まれ育ったのは君主国の大国フランスではなく、ジュネーヴという、スイスの小さな都市共和国でした。 学生:でも、ロベスピエールとか、フランス革命にかかわった人たちはルソーを読んで共鳴していたのではないんですか。 教師:そうかもしれないけれど、仮にルソーが長生きしていてそれを知ったら、どう思ったでしょうね。フランスのような大きな国ではジュネーヴと同じ政治体制は無理だし、それに、革命で政治体制をひっくり返すなんて非常に危険でよくないことだ、と思ったんじゃないでしょうか。 学生:え〜。そんなこと、何を根拠に言えるんですか。 教師:待ってました、その質問が出てくるのを。ルソーの『社会契約論』はジュネーブ政府によって危険な書物だと断定され、ルソーが祖国ジュネーヴを離れなければならなくなったのは御存じのとおり。こういう仕打ちに抗議するために、ルソーは『山からの手紙』という書簡形式の文章を書いています。ルソーの意図や状況認識を知る上で非常に重要な文章ですが、教科書レベルで紹介されることはまずありません。なぜかと言うと、『社会契約論』を書いた「民主主義者」ルソーというイメージに合わないことを、ルソーが色々書いているからではないか、と私は疑っています。 学生:都合の悪いことはなかったことにするなんて、そんなお役所や政治家の自己保身みたいなことがあるんですか。 教師:為政者・行政担当者に自己保身のためのごまかしを許さない政治体制を守るというのが、『社会契約論』のねらいだったんだけどね。 学生:『山からの手紙』は持っていないので、図書館で借りて読んでみます。その前に話を聴いてしまうのはよくないかもしれませんが、ちょっと、さわりだけでも教えてもらえませんか。 教師:私が都合のよいところだけを引き合いにしていないかどうか、のちほど自分できちんとチェックする、という条件で、それじゃちょっとだけ。 学生:お願いします。 教師:まずは、シンプルな点から。ルソーが革命的民主主義者でないことは、次の文章ではっきりしていると思います。
ああ、いとわしい人間的俗事のなかにあって、いったいどんな幸福が同胞の血によってあがなわれる価値があるでしょうか。自由でさえもこの代償にはあまりに高くつきすぎるのです。(『山からの手紙』川合清隆訳、「第八の手紙」、『ルソー全集・第8巻』、白水社、380頁)

大部分の国家において、内乱は理性を欠いた愚かな下層民によって誘発されます。最初彼らが耐えがたい憤りから興奮し、次には、なんらかの権力を握っていて、それを拡張したいと願っている巧妙な挑発者によって扇動されるのです。しかし、ジュネーヴの市民階級、少なくともそれらのうちの法を維持しようとして権力と対決する部分に対して、このような考えを適用することほど誤ったことはありません。あらゆる時代を通じて、つねにこの部分は、金持ちと貧乏人、国家の指導者と下層民との中間に位置する階層でした。財産、身分、教養においてだいたい平均した人々から成るこの階層の立場は、特権を持つほど高くはなく、それかといって失うべきものはなにもないというほど低くもありません。彼らの最大の利益、彼らの共通の利益は、法が守られ、為政者が尊敬され、国家が安泰であることです。この階級には、いかなる点でも、自分の個人的利益のために他人を動かせるほどの優位を他人に誇れるような者はだれもいません。これは共和国のもっとも健全な部分、人々が彼らはその行動において全員の利益以外の目的をめざすことはありえないと確信しうる唯一の部分なのです。それゆえ、彼らの共同行動はつねに、礼儀、節度、敬意ある確固とした態度、自分たちの権利の正当性を自覚し、義務を遂行する人間のある種の荘重さが見られるのです。(「第九の手紙」、440-441頁)
 下層民を危険視し中流階級を賞讃する議論は、ルソーの民主主義論の歴史的限界、ということではありません。アリストテレス以来のものですし、19世紀になっても政治改革に賛成する主張の中ですらよく出てくる見方です。要するに、20世紀以降の民主主義理解をルソーに当てはめようとすること自体に無理があるのです。先駆者でありながら限界もあった、という記述が教科書に出てきたら、ひとまず疑ってみましょう。 学生:先生の話を聞いていると、めまいがしてきそうです。でも、自分の頭で考える機会になりそうなので、この際、とことんつきあってみることにします。 教師:そう言ってもらえると、すごくうれしいな。もう一つだけね。こちらはもっと実質的な意味で重要なポイントです。つまり、ルソーが念頭に置いているのは、あくまでもジュネーヴという都市共和国だった、ということです。しかも、ルソーは、この共和国の現状を憂慮して『社会契約論』を書いたわけですが、彼が訴えているのは、新しい改革ということではなく、ジュネーヴの本来のあり方に戻れ、ということなのです。議論の仕方は、革新的ではなく保守的なのです。
 私の著書の、この簡略でありのままの梗概をお読みになって、貴殿は何をお考えになったでしょうか。私には察しがつきます。あなたはご自分にこう言いきかされたことでしょう。これこそジュネーヴ政府の歴史である、と。それは、あなたがたの国制を知っている人が、この作品を読んだときにかならずもらす感想です。
 実際、この原初契約、主権の本質、法の支配、政府の設立、各段階で政府の権威を力によって埋め合わせ政府を縮小して行くやり方、侵害的傾向、定期集会、それを廃止する巧妙さ、そして最後に、遠からず訪れてあなたがたを脅かす、私が防ごうとしたところの破壊、このどれ一つをとってみても、それはまぎれもなく誕生から今日にいたるまでのあなたがたの共和国の姿ではありませんか。
 私は、あなたがたの政体を立派であると思ったからこそ、私はそれを政治制度のモデルとして取りあげ、そしてあなたがたを全ヨーロッパに手本として示したのです。あなたがたの政府の破壊を求めるどころか、私はそれを維持する方法を明らかにしたのです。この政体は、非常にすぐれてはいるけれど、欠陥がないわけではありません。人々はそれが変質をこうむるのを防ぐことができたし、今日陥っている危険からそれを守ることもできたのです。私はこの危険を予測し、それをわかってもらおうとしました。そして、予防策をも示唆したのです。
 ……〔私を迫害した〕人々は『社会契約論』を、プラトンの『国家』や、『ユートピア』や『セヴァランプ』とともに、空想の国へと追放して満足したに違いありません。しかし、私は実在の対象を描きました。(「第六の手紙」、345-346頁)
 ジュネーヴの国制が、実際にルソーが持ち上げているほど立派なものだったかどうかはさておくとして、立派なものだというジュネーヴ市民の自負心に訴えつつ、そのよいものを守ろうではないか、と自分は『社会契約論』で論じたのだ、と言っているわけです。これがルソーの実践的意図だったと想定しておきたいと思います。 学生:でも、政治学を勉強していると、性善説で人間を見ることがだんだんできなくなってきます。ルソーには本当はもっと急進的な意図があったのに、迫害の不当性を強調するために、穏健なものだったと後付け的に言い張っているのでは、と疑いたくなります。 教師:「そんなつもりじゃなかった」という言葉は、たしかに、あとで都合の悪い結果につながってしまったときには、どうしても出てきがちです。政治の責任は結果責任だとわかっていないような人たちの場合は、特にそうでしょう。しかし、思想家であることを自負する人の場合は、何らかの意味での一貫性にこだわるところがあるので、本人の説明にはそれなりの重みがあります。ですので、それを覆すだけの力のあるエビデンスを探し出すのは、そう簡単ではありません。また、状況証拠の面から言っても、ルソーにジュネーヴに戻る気があるなら別ですが、ジュネーヴの政体を「あなた方の政体」と呼んで見限り始めているのに、自分の意図についての説明を卑屈な形で曲げる動機がありえたのか、といった問題が出てくるでしょう。 学生:でも、もしジュネーヴ国制の保守を訴えたいのだとしたら、『社会契約論』は、ずいぶん遠回しな議論の仕方をしているように見えます。なぜ、言いたいことが読者にもっとストレートに伝わるようにするために、『ジュネーヴ国制擁護論』といったタイトルとか内容構成とかにしなかったのか、という疑問が残ります。 教師:それは重要な指摘だと思います。おそらくルソーは、政治活動家として政治パンフレットを書くのではなく、思想家としての立場から、当局者の国制からの逸脱をいさめる一方で、市民の側の過激な反発にも憂慮している姿勢を、穏便に遠回しな仕方で、しかも理論的にしっかり裏付けられた形で示したかったのでしょう。そのために、モンテスキューにならって書き続けていた比較政治社会学的な『政治制度論』の未完成原稿を、ジュネーヴ国制が最善のものとして浮かび上がるような作品に改編したのではないかと思います。そういう配慮をしたのに、ジュネーヴ当局から逮捕状まで出されたわけですから、ルソーのショックと失望は相当なものだったと推察されます。ちなみに、今度は『社会契約論』の意図をはっきりと語った『山からの手紙』も、やはり発禁処分になってしまいます。
 以上のように推測できると思うのですが、しかし、意図の同定という問題の探究には決定打はなくて、議論の余地はどうしても残ります。それでも、まずは「推定無罪」の前提に立って、本人が明言している意図という観点から実際のテクストがどこまで整合的に説明できるかを確かめてみて、それで行き詰まったときにはじめて、意図についての本人の説明を疑ってみるというのが手順として合理的だと思います。
 というわけで、ルソーの実践的意図がルソーなりに理想化したジュネーヴ国制の擁護論だった、つまり、『ジュネーヴ国制論』だったという、『山からの手紙』の言明に即して見ていった場合、『社会契約論』がどこまで(既存の教科書的な記述以上に)説得力ある形で説明できるか、これから検討してみましょう。それがうまくいけば、意図についてルソー本人が語っていることを額面通り受け取ってよいのかどうかもはっきりしてくると思います。
【補注】『社会契約論』を『ジュネーヴ国制論』と呼んでみるというアイデアは、私(関口)の友人で、バジョット『イギリス国制論』の研究をしている遠山隆淑さんからいただいたものです。
学生:わかりました。『社会契約論』にはわからないところが本当にたくさんあるので、順番に疑問を提起していきたいと思います。
【補注】『山からの手紙』のフランス語版は、次のサイトにあります。(PDF版) rousseauonline.ch