JOHN TAYLOR
ぶつけ合った魂のエネルギーをそれぞれが内包しようとしている
だから、白熱することがない
あくまでも冷静沈着でクールである
"ANGEL OF THE PRESENCE"
JOHN TAYLOR(p), PALLE DANIELSSON(b), MARTIN FRANCE(ds)
2004年10月 スタジオ録音 (CAMJAZZ CAMJ 7778-2)
前掲のANTONIO FARAOのアルバムと一緒に昨年末にゲットしたアルバム。同じく、制作はCAMJAZZ。
多分、JOHN TAYLORというピアニストのアルバムを僕は初めて聴いたのだと思う。勿論、僕の所蔵CDの中にもなければ、聴いた記憶の中にもない。
前掲のANTONIO FARAOのイタリア系明るさと好対照のイギリス系思索的、内省的アルバムである。意味深長であり、そして、理屈っぽい。現在の僕にはこの手の音楽は「範疇にない」 スカッとしないのだ。逆に、ストレスが溜まりそうだ。隔靴掻痒の気分だ。
音楽的には深そうだけど、僕の感性はそれについていけない。1週間にわたり聴いてきたけど、如何ともし難い。結局、詰まるところ楽しくないのだ。せめて1曲、これはいいなあと思える演奏があれば良かったのだが、残念ながらそれもない。(8曲目はそういう雰囲気を多少持ち合わせている・・・)中途半端に美しく、中途半端に緊密感があり、中途半端に躍動感があるという、そういう感じなのだ。
前掲のFARAOのアルバムと聴き比べると、決定的なのは「楽しさ」の差なのだ。魂をぶつけ合ったそのエネルギーを更に昇華しようとしているFARAOのトリオと、ぶつけ合った魂のエネルギーをそれぞれが内包しようとしているTAYLORのトリオの差なのだ。だから、白熱することがない。あくまでも冷静沈着でクールである。
その一方で、僕自身の心の中で「ひょっとすると・・・」という部分が正直言ってある。もしかして、5年後に素晴らしいと感じるかもしれない、そういう怪しさを持ったアルバムという感じがするのだ。多分、こういう内省的なジャズが好きな方には堪らない1枚かも知れない。
A、B、E、FがTAYLORのオリジナル。
@"UP TOO LATE" ベーシストでありコンポーザーでもある、STEVE SWALLOW(JAZZ批評 201.、 74.& 7.)の曲。
A"DRY STONE"
B"IN COLOGNE"
C"SWEET DULCINEA" KENNY WHEELERの曲。
D"VAGUELY ASIAN" STEVE SWALLOWの曲。沈着冷静に躍動しているという感じ。
E"FABLE" 意味深長なテーマ。
F"AFTERTHOUGHT"
G"INTRO TO NO PARTICULAR SONG" KENNY WHEELERの曲。一番、聴きやすい演奏。
僕の評点では3.5★以下のCDは第2の人生を歩んでもらうべく、買い取りに出してしまうのだが、このアルバムは前述したとおり、5年後の自分自身の評価が予測できない。従い、しばらく手元に置いておこうと思う。そのためには4つ★が必要なわけで、敢えて、4つ星としてみた。いやあ、何とも評価の難しいアルバムだ!!! (2006.01.15)