春のソヴィエト映画祭に続け!秋のアジア映画祭
ぱん・ふぉーかす No. 63('89. 9.21.)掲載
[発行:高知映画鑑賞会]


 なんでも今イチバンたくさん映画を制作している国は、インドなのだそうだ。あの巷にあふれかえっているアメリカ映画でもなく、金満と陰口をたたかれる日本でもなく、多くの日本人が道端に牛でも寝転んでいるのを想像するあのインドなのだ。量の話だけではない。質の話においても、今、世界から最も熱いまなざしを受けているのは、アジアの映画なのだ。
 『大地のうた』のサタジット・レイのいにしえから知る人ぞ知るインド、獄中監督ユルマズ・ギュネイのがカンヌの話題をさらったトルコ、スーパースター ジャッキー・チェン擁する香港、噂のキョンシーの跳ねる台湾、『古井戸』から記憶にも新しい芙蓉鎮まで映画の持つ力を再認識させた中国。でっかいスケールの大河ドラマからダイナミックな娯楽作、近代西洋精神を断固と拒否した土着性から人間の不変の心理を綴った抒情性まで、あらゆるジャンルのあらゆるレベルで今、映画は、アジアの時代なのだ。でも、これらは、ほんの表層でしかない。その陰に埋もれていく数々の熱い驚くべき作品群がアジアの地から産み出されている。
 想像を働かせるのが人間の活力だとすれば、テクノロジーに汚染され、現代病に冒された、いわゆる先進諸国より、まだ多くの自然が残り、近代合理主義の行き渡っていない国々や到達したい具体的な目標を持つ国々、或いは人間のダイナミズムが社会に反映され得るくらい小さな国々の人たちのほうが、より想像力に富み創造的なのは、当然のことなのだ。行きづまりを感じる閉塞状況にあえぎながら、病的な繊細さを追い求めるか、そうでなけりゃ、呆れるほどに即物的で、瞬間芸みたいに刹那的なインパクトを連射するしかないような創造力の貧しさでは、素朴で力強い人間のたくましさを感じさせる創造力に到底かなうはずがないということだ。
 今回上映されるのは、インド映画の『チダムバラムの愛』とインドネシア映画の『追憶』。
 かたや人間の罪と苦悩を描くシリアス・ドラマ、かたや民族独立運動の動乱期における男と女の人間ドラマ。入場料無料というのだから、観に行かぬ手はない。しかも「第1回アジア映画祭」と銘打ちながら、来年以降のめどは立っていないという。しかし、春の「ソヴィエト映画祭」並みの実績をあげれば、来年以降、年一回でしばらくは続ける予定で、本数も6本くらいに増え、二日にわたる映画祭らしいものになる可能性もあるとも聞く。そうなれば、尚のこと観に行かぬ手はない。
 高知で初めての継続性を持った映画祭が実現すれば、主催が県の外郭団体だから、そのうち規模も拡大し、アジアの国々から監督さんなんかも招くようなことにもなるかもしれない。そうなれば、日本中あるいは世界からも注目される映画祭にもなるだろう。世は、国際化の時代なのだ。そこまで育て上げていくためにも、この秋の「第1回アジア映画祭」を何とかみんなで成功させたいものだ。
by ヤマ

'89. 9.21. ぱん・ふぉーかす No. 63
春のソヴィエト映画祭に続け!秋のアジア映画祭



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