『路』(Yol)
監督 ユルマズ・ギュネイ


 現代トルコの映画なのだが、現代がいわゆる現代らしく映って来る部分と我々が日常感覚で『現代が失くしてしまった』と思っているものとが混在していて、ちょっとしたカルチャー・ショックである。近代的ないし現代的なビルディングが立ち並ぶ一方で、なんか古めかしい汽車やバスが走っているし、背広姿でテーブルについてナイフとフォークで食事をする人達がいる一方で、裸足に民族衣裳をまとって生活している人達がいる。どちらも現代という同じ時代の現実なのである。そこで現代性というのは一体何なのかと問い直してみると、我々が普段思っている現代性というのは、いわゆる西洋の側からの視座しか持っていないことを改めて知らされる。現代性というものを西洋文明化ということを越えて捉え直すと何が見えて来るのであろうか。
 いわゆる社会学で描くところの現代モデルとは、産業化社会・都市化過程・大衆社会といった西洋的近代化の延長線上において、ある種の閉塞状況を迎える一方で何らかの打開策を模索しつつあるものとしての現代である。ところが、この映画によって描かれる現代は、そういった既成の狭量な現代観をひっくり返してしまう。何故なら、この作品で描かれている現代トルコが、単に社会発展的な面からの遅れといった形で捉えられてはいないからである。西洋的近代化という視点から見れば、未開放ということに当たるであろう彼らの文化(性の問題、家族の問題、政治の問題、貧困の問題等)は、遅れているのではなく、西洋的近代化という地球的規模で席捲した圧倒的な力によって引き裂かれているように見える。しかし、その混沌の中で尚且厳然と存在する彼ら自身に固有の非近代西洋的文化は、見事な力強さと逞しさを誇っており、伝統的日本文化を加速度的に稀薄化して行っている我々には、違和感も強いものの、痛烈な自己主張として厳しく訴えかけて来るものがある。それがここに描かれた愛と苦しみの人間ドラマが、強い説得力と豊かな叙情性を持ち得る最大の理由ではなかろうか。

推薦テクスト:「たどぴょんのおすすめ映画ー♪」より
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/4787/g38.html

推薦テクスト:「ケマル・スナル普及協会」より
http://www.mulayim.com/kstd/main.html
by ヤマ

'85.11.28. 名画座



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