ソビエト映画祭を終えて
ぱん・ふぉーかす No. 61('89. 5.31.)掲載
[発行:高知映画鑑賞会]


 去る四月十九、二十の両日にわたって、県民文化ホールのグリーンホールで第二十回ソビエト映画祭が開催された。後援の高知県から受けてみないかとの誘いがあったとき、経費がソビエト大使館の全額補助であり、入場無料で実施できることと新旧のソビエト作品が長短併せて、一挙に6本も観られることに惹かれて、高知映画鑑賞会では会のなかにソビエト映画祭事務局を置いて取り組むことにした。
 鑑賞会の運営委員をしている私としては、近年、どのような作品を例会で取り上げようが、参加者不足で毎回のように赤字を重ねるような形でしか実施できなくなっている自主上映の状況に、この映画祭が何をもたらしてくれるかに最も大きな期待と関心があった。入場者数は二日で延べ七百人を超え、今までのソビエト映画祭の地方開催での実績が大体において二、三百人程度であることからすれば、大健闘以上の盛会であったと言える。成功の原因には、いくつもの理由があろうが、そんなことよりも七百人を超える方々が会場に足を運んでくださったことに勇気づけられるし、またそれが何よりもありがたい。昨年末、赤字続きの例会に、最早このような映画上映が人々から求められていなくて、成り立たなくなったのなら、潔く解散すべきだと言っていたことの早計さを反省させられた。
 ビデオが蔓延し、娯楽が多様化し、人々がせわしなくなってきたことが例会不振の総てでもないわけだ。入場が無料とはいえ、貴重な時間を割いて足を運んでくださる方がまだこんなにたくさんいるのだ。遠いところでは、わざわざ高松からお越しくださった方もいた。運営委員会の取り組み次第では、活路も開けようというものだ。その点では、特に今回の映画祭運営を通じて、新聞等マスコミでの取り上げ方とチラシの配布の仕方の違いによって生じたと思われる反応の大きな差に、考えさせられると共に一条の光明を見出した気もしている。
 上映された作品については、期待以上でも、また期待以下でもなかったが、個人的には『紆余曲折』(ガリ・バルディン監督)が鮮烈で、『ミスター・デザイナー』(オレーグ・テプツォフ監督)が興味深く、『愛していたが結婚しなかったアーシャ』(アンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー監督)の農民の表情が忘れがたくて、『秋のマラソン』(ゲオルギー・ダネーリャ監督)に苦笑を禁じ得なかった。
 この映画祭を契機に、県との間でいくつかの企画めいたものも生まれるようになったし、中央の配給会社との間でもいつにはない交流を持つことができ、有形無形のさまざまのものを映画祭は、もたらしてくれたような気がする。ひとつ、またひとつと映画館の灯が消えて行っている昨今、スクリーンで映画を観ることの喜びと楽しさを知る参加者の皆さま方のなお一層の支援をお願いしたい。紆余曲折を経ながらも、十余年も続いてきている高知映画鑑賞会の灯を自分の関わっているときに消してしまいたくはないものだと思っている。
なお、その後、高知映画鑑賞会は2001年3月で解散しております。

by ヤマ

'89. 5.31. ぱん・ふぉーかす No. 61
ソビエト映画祭を終えて



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