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『TOKYOタクシー』['25]
監督 山田洋次

 齢九十四歳、原作パリタクシーのマドレーヌ(リーヌ・ルノー)の歳九十二を上回る年齢での監督作品とは思えない瑞々しさに恐れ入った。元作を観た際に四半世紀前の奥田瑛二と北林谷栄で今リメイクすれば似合いそうと記していたように、つい自国において翻案したくなるような'60年代を偲ばせる作品だ。本作における配役は、木村拓哉と倍賞千恵子だった。なかなか好かった。

 パリを東京に置き換えて何処を映し出すのだろうとの興味は、いきなり寅さんかと笑える納得の葛飾柴又の帝釈天だったのだが、八十五歳の高野すみれ(倍賞千恵子)が辛い日々を過ごした千住(だったかな?)に脚を向けても昔日の面影は何処にもなく、東京大空襲に見舞われて父親とはぐれた言問橋に行っても記念碑が片隅にあるばかりで、東京スカイツリーや横浜ベイブリッジ、溢れる電飾に彩られた横浜の夜景と、街の歴史を感じさせる風景がないのが東京だと言わんばかりの切り取り方だったような気がする。

 街に歴史が留められていないことと相似するように、戦災の記憶も、僕が二十三年前に観た増村保造映画祭の日誌に綴った、やたらと男が女を殴る場面に遭遇して、いささかうんざりさせられる'5,60年代の記憶も風化させて、「そんなことより」と棚上げすることが習い性になっている今の風潮に憤慨している視線を感じた。

 元作を観ているから結末に驚きはないのだが、日本版だからか、フランス版では想起しなかった贈与税のことがよぎって苦笑した。一般贈与の一括だとするなら税率55%だから、一億円貰っても半分以下になるわけだ。もっとも深夜勤シフトでの一日の売り上げが30,740円で、当座に困っている金が百二十万なら、それでも充分以上の夢のような果報ではある。遺贈なら30%になるらしい。

 敗戦必至との分析結果が出ていながらの日米開戦にしても、北朝鮮への帰国運動にしても、本作で示されていたように、国策によって庶民が辛酸を舐める歴史は後を絶たない。すみれの子供の死については、『パリタクシー』のほうでは観る側の想像に委ねられ、示されていなかった気のする猟奇性に誘われる好奇の眼差しを向けられそうな事件の犯人の息子として十代を過ごすことになったマチューの不遇の部分がきちんと言及されていて感心した。元作に些かも引けを取らない流石の翻案だと思う。

 帰宅後、山田洋次が新聞に寄せていた随筆を読んだら、二人がタクシーで会話する場面は「LEDウォール」という新技術による屋内撮影で監督や俳優は肉体的に楽、このシステムがあるから、ぼくはこの作品を作る決心をしたといってもいいかもしれないと記していた。走行揺れもあったし、窓外の風景に違和感はなかったし、吃驚魂消た。すみれの突拍子もない申し出を叱りつけ我儘をたしなめつつ名残惜しさをも滲ませていた宇佐美浩二(木村拓哉)の佇まいと仕種が絶妙であった高級老人ホームのエントランスでの別れの場面が感慨深い。昭和三、四十年代だって、浩二くらいの男性が全くいなかったわけではないだろうが、すみれは出会ったことがなかったに違いない。下手をすると、夫婦間の危機を迎えたかもしれない宇佐美家の窮地を救うことができた高野すみれにとっても、有終の美を飾る最期だったように思う。教会でふと南無阿弥陀仏と言ってしまい失笑する仕草が愛らしかった。

 山田洋次の随筆の末尾はその昔、素顔の渥美清さんと逢ったぼくの母親が「ああいう人をジェントルマンというのよ」と褒めていたことがありましたが、今度の映画の中での倍賞さんが、木村拓哉君の運転手さんに別れ際、「あなたはジェントルマンね」と言って、木村君がキョトンとする場面があります。それはぼくの木村運転手への褒め言葉のつもりです。と結ばれていた。
by ヤマ

'25.12. 7. TOHOシネマズ5



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