『パリタクシー』(Une Belle Course)
監督 クリスチャン・カリオン

 弟が医師の僕とは逆に兄ダニエルが医者の、しがないタクシー運転手であるシャルル(ダニー・ブーン)が生活苦に喘ぐ日々にかなり気持ちが荒んでいたにしても、自分の歳の丁度倍になる九十二歳のマドレーヌ・ケレール(リーヌ・ルノー)の、同じ十六歳からの三十年間の過酷で不運な半生を乗り越えて来ている姿を目の当たりにすれば、弱音を吐いてはいられないと勇気づけられるのも尤もに思えるマドレーヌの佇まいに感銘を受けた。

 終戦わずか四ヶ月前に父親をナチスに処刑され、パリ解放軍の若き米兵マットと恋に落ち、十七歳でシングルマザーになったと思しきのち、DV男の溶接工であるレイと結婚し、家庭内暴力での離婚など考えられなかった時代だという'50年代に五年間も辛抱した挙句、七歳の息子マチューにまで手出しをされて逆上し、睡眠薬で眠らせた夫の股間をガスバーナーで焼いて機能不全者にしたかどで二十五年という容赦ない長期の収監刑に処せられ、'60年代になってようやく、十三年に刑期を短縮されて出所してきたら、成人してパリを逃れたかった思いを叶えた息子が戦場カメラマンとしてベトナムに赴き、わずか半年で亡くなるという憂き目に合っていた。

 阿部定事件的な猟奇性に誘われる好奇の眼差しを向けられそうな事件の犯人の息子として十代を過ごすことになったマチューの不遇も相当なものだと思うにつけ、法廷で五年間も結婚生活を続けていたんだぜ、日常的な暴力などあるわけないなどとしらばっくれていたレイことレイモン・アグノー(ジェレミー・ラウールト)のろくでなしぶりが際立つが、裁判沙汰にまでは至らずとも、残りの部分がマドレーヌと同じような境遇に見舞われた女性は、少なからずいたような気がする。全く酷い時代だ。

 さればこそ、そう漏らしたシャルルに向って悪いことばかりの時代でもなかったのよと言ってのけられるマドレーヌに、彼は痺れたのだろう。これだけキツイ人生を過ごして来ていても、かほどにユーモアと泰然自若を体現している姿に驚異と敬服を覚えたに違いない。十六歳のときから苦楽を共にしてきている看護師の妻カリーヌに彼女を紹介しないではいられなくなったのも当然だろうと思った。

 まさに“心洗われる”Belle Course【美しい道のり】をタクシーで過ごしていることがよく伝わってきたように思う。四半世紀前の奥田瑛二と北林谷栄で今リメイクすれば似合いそうな映画だった。それにしても、101万ユーロとは凄い。一億円を遥かに超えているから、宝くじ並みだ。

 聞くところによると、リーヌ・ルノーは撮影当時、マドレーヌと同じ歳だったそうだ。果報の役どころを得たものだと思わずにいられなかった。全く見事なまでの機知と落ち着き、ポジティブシンキングぶりを体現していたように思う。こういう気持ちのいい90分程度の作品が本当に少なくなった気がしているので、尚の事、素敵に感じた。

 知り合いの映友牧師に、キリスト教圏映画として、シャルルの元に訪れたマドレーヌは神が遣わした存在のように映ったりしなかったかと訊ねてみたが、まさしく人の出逢いは神の導き。特に人生を左右する出逢いはという一般論的なもの以上のものは感じなかったように見受けられて、少々意外だった。西洋映画の受け取りに矢鱈とキリスト教的なものを挟み込むのは好ましくないと思っているほうなのだが、本作には作り手がとりわけ意識的に企図している部分があるように僕は感じている。

 休みなく働いても借金の嵩むようなしんどい日々を送っている労働者階級への応援歌的に製作しているからこそ、最後のエピソードがあるわけで、そのように了解しないと蛇足に映って来るような気がしたのだ。別の映友女性が最初なんなんだ?このおばあちゃんは?と思いながら見ていたとも寄せてくれたのだが、あの“何だか降って湧いたかのような最初の現れ方”が後からもしかして、神の使いだったの?的な効果をもたらす運びになっていたように思う。物語的には、まるでキリストの復活のような奇跡の101万ユーロだったような気がする。だが、かの復活があるからこそキリスト教の物語は成立し威力を発揮しているのだから、そういう意味で了解できるし、必要なのかなとも思っている。いずれにしても、ある意味、宗教的カタルシスを得ていたように思える“シャルルの心が洗われていく感じ”に、とても納得感があって好い映画だった。




推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20230418
by ヤマ

'23. 8.27. あたご劇場



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