『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』['95]
『ゴースト・イン・ザ・シェル』(Ghost In The Shell)['17]
監督 押井守
監督 ルパート・サンダーズ

 公開時にイノセンス['04]もアップルシード(APPLESEED['04]も観ているが、肝心の本作を観ていなかったので、ようやく宿題を片付けた感じだ。『イノセンス』ほどに御託を並べなかったので、やはりこれが好いという気がする。思い掛けなくも入場者特典がまだ残っていて公安9課 MOTOKO KUSANAGIのカードを貰って来た。

 早々にマトリックス['99]のような緑文字が現われて快哉を挙げたが、鮮やかで圧倒的なイメージが連続する展開に、改めてスカーレット・ヨハンソンが少佐を演じた『ゴースト・イン・ザ・シェル』['17]の再見をしてみたくなった。

 すると幸いにもYouTubeに広告付きながら無料配信動画があり、早速に視聴した。公開当時士郎正宗原作の押井守監督作品では『イノセンス』['04]を観ているだけで、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』['95]は今もって観ていない。でも、なんとなく『イノセンス』の印象よりも『APPLESEED アップルシード』['04]に描かれていた世界のほうが視覚的に近いような気がしたものの、なにせ十年以上も前のことで些か心許ない。しかし、実のところ、映画としては、そういったアニメーション作品よりも実写映画の『バイオハザード』のほうが近いように感じながら観ていた。少佐(スカーレット・ヨハンソン)のことをオウレイ博士(ジュリエット・ビノシュ)が「ミラ」とその名を呼んでいたからかもしれない(笑)。とメモっていた部分に関しては、芸者ロボット(福島リラ)への襲撃場面のアクションにしてもバイクに乗って疾走する姿にしても、『バイオハザード』のアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)よりも、やはり『マトリックス』のトリニティ(キャリー=アン・モス)のほうが相当だと思った。

 押井版を観た後に再見すると、まさに押井版のゴーストを抱えた形の脚色になっていて、場面描出をなぞらせている部分とアレンジしている部分との混交具合に妙味があり、人のアイデンティティは記憶にこそあるとして、ハッカーの人形遣い(声:家弓家正)と併せて記憶の謎を追っていた印象のある押井版に対して、オウレイ博士の言葉を継承して人は記憶に自分の証を求めるけど、何をするかが人を決めると述べる元MOTOKOたるミラ・キリアン少佐の造形が面白かった。

 他方で、まさに甲殻類の如き節のあるシェルの身体を持った攻殻機動隊員の少佐よりも、甲殻類にはない乳首も備えた裸身で画面を彩る草薙素子(声:田中敦子)のほうが断然いいなと思ったりした。公安6課と9課の内部抗争というか隠蔽工作を暴く押井版よりも、電脳ネット空間ではない人脳ネット空間を構築して対抗するテロリストたるクゼ(マイケル・カルメン・ピット)との抗争と、ハンカ社のカッター社長(ピーター・フェルディナンド)を倒すレジスタンスとしての共闘に至る運びのほうが含蓄があるように思うけれども、クゼが素子の元恋人HIDEOで、少佐を生み出すまでの98人の失敗例の最後の個体だったとの因縁はまだしも、母(桃井かおり)と素子の暮らすアヴァロン・アパートの造形が今一つだと思った。

 だが、バトー(ピルー・アスベック)の眼のエピソードが示すプロジェクト2501に先立つプロジェクト2571の設えとカメラアイの造形は巧みで、目を惹いた。ラストシーンを押井版のオープニングに繋げ、前日譚のようにして締めたエンディングも悪くないと思う。元作を観終えての再見は3割増しという感じになった。だが、映画作品として両作を比較すると、二十年余り先んじて鮮やかな造形を果たしていた押井版のほうが、その運びのリズムやかっこよさ、少佐とバトーの関係の醸し出す呼吸において、やはり上回るという印象だった気がする。

by ヤマ

'25.11.23. キネマM
'25.11.23. YouTube配信動画



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