間借り人の映画日誌 -『イノセンス』-

『イノセンス』

監督押井　守

　僕は原作たる士郎正宗の漫画『攻殻機動隊』を読んでおらず、押井監督の映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』も観ていないけれど、物語を了解するうえでさしたる支障がなかったのはありがたかった。大きな影響を与えているとの『マトリックス』を既に観ていたおかげなんだろう。最初のうちは、ミルトンやデカルト、孔子、旧約聖書詩篇などの引用に留まらず、箴言的な御託を並べた台詞の数々が奇妙な心地よさと格好のよさを醸し出しているように感じていた。それは、おそらく卓抜した映像センスのもたらしてくれる心地よさと格好のよさが有効に作用していたからだろう。ところが、繰り出される言葉の数々が次第に空疎なものに感じられるようになってきた。それはおそらく、次々と起こる惨劇惨状に出くわしてもいささかも動じないで、それらの数々の言葉を口にするキャラクターたちに対し、僕がツワモノの胆力を感じるよりも、やけに達観しているかのような冷ややかさをその口調から受け取るに従って、血の通いのなさを印象づけられていったことに起因するものだと思われる。

　僕は、人間的であることの証を感情表出の無軌道ぶりに求めるような激情型支持派では決してないし、ある意味で、情緒における人間性を絶対視しないような人間観には、映画版『模倣犯』を想起するまでもなく大いに関心がある。だから、この作品の最も興味深い舞台装置である、高度な科学技術によって製造されたほとんど人造人間とも言える次元にあるロボットやもはや脳の一部分しか残されていないほどに粋を究めた改造人間としてのサイボーグと生身の人間における差異というものが何であるのか、また、そこに単に生身であることによって絶対的な序列が敷かれて然るべきなのか、といったことには、もっともっと踏み込んだメッセージと思想を盛り込んでもらいたかったのだが、観終えてみると、装飾的な言葉の数々と圧倒的な映像美によってはぐらかされ、肩すかしを食らったような不全感が残った。仕掛けの壮麗さに比べて、なんとも表層的な内実が不釣り合いで、いささか虚仮威し的な見世物を見物したような印象だった。

　殊に僕が脱力したのは、徹頭徹尾、冷静沈着だったバトーが、事件の発端となるロボットたちの変調を仕組んだ少女を救出し、ロボット製造会社の非人道的な悪行をあばいた際に、少女に対して、犠牲を強いられたロボットたちのことを考えたことがあるのかと激昂した場面だった。彼が唯一興奮する場がここなのかとの違和感が拭えなかった。少女が自らの救出を企図して気づきを促すための必死のシグナルとして、大量生産されたロボットに殺人攻撃の情動を脳波プログラムとして送り込んだことによって起こった惨劇に対し、バトーがロボットやサイボーグと生身の人間との間にさしたる差異を認めない立場にあったゆえに殊更に耐え難き犠牲の大きさを感じたにしても、最も責められるべきは、当の少女よりも子供たちを拉致し高性能ロボットを製造していた会社であるのは自明のことで、そんな事の筋道の理よりも、数多の犠牲を強いられたロボットたちへの想いの高ぶりで激情に駆られ、少女をなじる姿を晒しては、それまでの知性や冷静さの底割れがいっぺんに露呈してしまう。作り手が、この場面によって御託を並べることへの皮肉を観客に伝えたかったようには思えないだけに、いささか萎えたが、そんなふうに感じられたのも既にして、映画のなかで繰り出される言葉の数々が次第に空疎なものに感じられるようになってきていたからだろう。バトーの窮地を救うために攻撃ロボットの一つに侵入して現れる素子との絆をパートナーシップと呼ぶか科学的ならぬ“機械的な愛”と呼ぶかはともかく、これによって一件落着の事件解決へと向かわせてよしとする展開にしても、素朴と言えば素朴ながら、込み入った仕掛けの壮麗さにはあまりにも見合っていないような気がした。

　とは言え、あの映像の見事さには息を呑まないではいられない。アニメーションは恐るべき次元にまで進歩していることを実感させられるとともに作り手の卓抜したセンスにも驚嘆させられた。冒頭からのハンス・ベルメールの人形のイメージが頻出する画面からしてすっかり魅せられたのだが、西洋的なものも東洋的なものも、キッチュも洗練もレトロもスーパーリアリズムも、ちょうど数々の言葉の引用がそうであったように、種々雑多の格好のいいものを節操なく取り込んで同居させ、鮮烈なインパクトを与えつつまるで違和感のない形で一つの視覚世界としてのイメージ造形を果たしている技量には、ほとほと感心させられた。

推薦テクスト：夫馬信一ネット映画館「ＤＡＹＦＯＲＮＩＧＨＴ」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2004/2004_03_22.html

by ヤマ

'04. 4. 1.　東宝３

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