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| 『伊豆の踊子』['54](松竹) | |||||
| 監督 野村芳太郎 | |||||
| 鰐淵版(松竹)・吉永版(日活)・内藤版(東宝)・山口版(東宝)と観たので、この際、鰐淵版に先駆ける美空ひばり版も観ておくことにしたものだ。踊子一行を率いる四十女の名を『温泉宿』から取ったと思しき、お芳としていた吉永版以降とは異なる、松竹の鰐淵版と美空版は、おたつ(南美江)で揃っていた。 全七節からなる原作小説の第一節が「峠の北口の茶屋」から始まるのに対して、本作は、子供たちが♪箱根の山は天下の険♪と歌う街道を沼津から修善寺に向かう乗合馬車に乗った学生服の一高生たる水原(石浜朗)が勧められた煙草を「吸えませんから」と断るなか、踊子の薫(美空ひばり)より先に、退院したばかりの千代(由美あづさ)に付き添う栄吉(片山明彦)と出会っていた。劇中に♪あゝ玉杯に花うけて♪の歌も出てくる本作では、一高生であることを際立たせるために原作での着物姿を学生服に替えていたのかと気づいた。それが踏襲されて鰐淵版でも日活での吉永版でも学生服が引き継がれ、東宝での内藤版で原作どおり着物姿に改められるに至ったようだ。 小説には登場しない作家の杉村先生(大宮敏)が、原作小説の第五節の終わりに出てくる「二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出てきているのだった。」とのくだりを踏まえた「孤児独特の不健康さ」を水原に対して序盤で指摘していた。伏見晁の脚色によるこの杉村先生の登場を学生の坂本(戸塚雅哉)に置き換えていたのが、田中澄江脚色による六年後の同じ松竹の鰐淵版だったというわけだ。 本作で目を惹くのは、やはり甲府出身だった栄吉・薫を湯ケ野の温泉宿を借金のかたに失った元湯ノ沢館の後継ぎに設えてあったことだ。従って、旅芸人の辛苦というよりも、没落者の抱えた悲哀と屈託が浮かび上がっていた、栄吉に替わって湯ノ沢館の二代目になった順作(三島耕)の配置だった。彼が旅芸人に身を落とした薫を不憫に思って、兄妹の父親喜平(明石潮)の世話方々、彼女の生れた湯ノ沢館に引き取り、ゆくゆくは嫁にとりたいと栄吉に申し出る運びになっていた。そして、それを知らされて動揺した薫が、水原からの活動写真【映画】への誘いを自分のほうから断り、順作の申し出に対しても、取りあえずは兄と共に旅したいと留保する形になっていた。これを観て、吉永版で薫を嫁に望む有力者の息子(郷えい治)を配していたのは、ここからだったのかと得心した。 原作小説で五十銭だった茶屋への心付けを十円札の置忘れにして、天城から下田まで追って返そうとする少年信吉を配していたことも目に付いた。作り手の思いは何処にあったのだろう。少年の真摯な誠に触れて老婆の引率を受ける気になったという運びにしたのかもしれない。 真っ裸で跳ねる薫の場面は、露店の共同風呂に向かう途中で気付いて振った手拭を川に落としたために裾を捲って足を見せるものになっていたが、それなら川での洗髪で少女のうなじを覗かせるほうが川端趣味だろうというのが、鰐淵版を脚色した田中澄江の面目だったに違いない。いささか意表を突かれるというか驚いたのが、原作小説で「村の入口に立て札があった。――物ごい旅芸人村に入るべからず。」と記されていた立札にまつわる補填だった。据えるのは、村長・村会議員の連中だという指摘とともに、その立札を黙って引き抜いていく村人の姿を映し出していた。先に観た四作のいずれにもなかったエピソードだが、さすが'50年代作品だと思うとともに、他方で、福島中佐の遠征を描いた改良剣舞を披露する栄吉の姿をも映し出していて、驚かされた。 注目していた「手を入れると濁るし、女のあとはきたないだろうと思って。」との台詞は、おたつではなく薫が「手を入れると汚れますからこれで」とコップに酌んで渡す形になっていたけれども、女が箸を入れてきたないという台詞はそのまま登場した。 肝心の踊子については、当時十七歳の美空ひばりよりも、姉の千代を演じた由美あづさのほうが魅力的だったように思う。ともあれ、著名なる短編を繰り返し映画化するなかでの脚色競演を堪能できる五作品めの観賞となった。こうして眺めてくると、大まかには原作小説の四十女をおたつとし、峠の茶屋以前を描く“おたつ編”と、四十女の名をお芳として、『温泉宿』に登場した酌婦を配した“お芳編”に分かれるようだ。こうなると、戦前の田中絹代版も観ておきたくなったのだが、YouTube配信動画にあると聞いていた『恋の花咲く 伊豆の踊子』['33]は93分で三十分ほど短い不完全版のようなので取り止めた。五所平之助監督による同作の脚色は伏見晁で、戦後の美空版と同じだ。同一の脚本家による98分の美空版と124分の田中版で、どこが割愛されているのか確かめたかったのだが、叶わなくて残念だ。 映画化された六作品を概観すると、昭和八年の初映画化のときの脚本が伏見晁で、戦後の再映画化の際にも彼が脚本を担い、六年後に田中澄江がリライトした三年後に、西河克己と井出俊郎が身を売る酌婦の話を加えた再映画化を行なっていることになる。そして、四年後に井出俊郎が恩地日出夫と共同で書き改め、その七年後に若杉光夫が改訂したものを西河克己が今度は監督として再映画化しているわけだ。スタッフの核たる監督と脚本家それぞれが、原作や既存作を踏まえつつ改訂を加え、時代に応じた意匠を凝らしていることが窺えて非常に興味深い鑑賞となった。これこそが文芸作の映画化の真骨頂だと思う。単純に原作を忠実になぞる“小説の実写化”ではないからこその醍醐味が宿っているところが観応えだと改めて思った。 | |||||
| by ヤマ '25.11.22. YouTube配信動画 | |||||
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