『アップルシード(APPLESEED)』
監督 荒牧伸志


 同じ士郎正宗原作のイノセンスを観たばかりだから、それとの比較で言えば、両作ともに圧倒的な視覚効果によって、いわゆるアニメーションの域を越えた世界構築と言うに足る造形を果たしながらも、先行利得ともいうべきインパクトが影響している分も加味されてか、『イノセンス』のほうが映像センスや音楽的な豊かさにおいて、“世界初3Dライブアニメ”を標榜する『アップルシード』を凌駕する印象を残していることは否めない。だが、物語としては、両作品ともに背景や舞台装置の複雑な大仰さのわりには拍子抜けしかねないほどの単純さにあって、『アップルシード』のほうが『イノセンス』よりも好感の持てる仕上がりになっているように感じた。

 同じ原作者の同じような構造を持った映画を観たことで浮き彫りになるように感じられたことだが、『アップルシード』の七賢老の体質が作品全体に染みわたっていたのが『イノセンス』だったような気がする。小賢しさと小狡さのなかで“人間らしき不寛容”によりデュナンの母の研究成果を葬り、クローン技術による人造人間バイオロイドに性欲と生殖能力を持たせないで命の連続性を奪うことによって人間の優位を保証しつつも、結局のところ自らも含めてとことん愚かなる欲深い人間というものに絶望し、その間、知の集積を合理的に果たしてオリュンポスを導く巨大コンピューターたるガイアとの対話によって人間の可能性や希望への模索をそれなりに真摯に重ねていたにしろ、身勝手にも自らの寿命に合わせて心中するがごとく人類を断罪しようとするのが立法院の七賢老だった。その手前味噌で思い上がったような厭世感というか人間不信が、警鐘に留まらない投げやり的な本音を感じさせていたのが『イノセンス』という映画作品だったように、僕は『アップルシード』を観て感じた。その点、本作はチラシに“もうひとつの「美女と野獣」”と謳い込まれた美女戦士デュナンとサイボーグ戦士と化したブリアレオスの絆にしても、バイオロイドのヒトミと義経の仄かな想いにしても、デュナンの亡き母に対する想いにしても、行政院を統帥するアテナの自負と信念にしても、『イノセンス』のような冷ややかでシニカルなお見通し的気取りのない筆致で描かれていて気持ちがいい。

 また、ビジュアル的にこっちの女性たちのほうが魅力的で、特にフェイスキャプチャーに1人、モーションキャプチャーに2人もキャスティングしたとのデュナンの、ライブアニメにふさわしい“生々しさの削がれた息づき”とでも言うような不思議な官能性に包まれた魅力は、大いに目を惹いた。

 ウラノス将軍とデュナンの両親の間に潜んでいそうなドラマやハデスのエピソードなどオリュンポス正規軍側の描写が極端に削がれていて、ちょっとバランスを欠いている気がするところや、そもそも全世界の命運を一握りの人物たちが握っているという世界観など、支持しかねる部分を内包しながらも、視覚的インパクトで魅せられる愉しさに水を差されるほどの違和感には至らなかった。ただ大いに残念だったのは、音声が非常に聞き取りにくかったことだ。東京国際映画祭で観たときの『美しい夏キリシマ』の日誌にも綴ったように、この点での都市と地方との格差には、ヘタすると盛り上がりつつある日本映画振興の機運にも水を差しかねないほどのものがあるような気がする。製作サイドでできることとして、ユニバーサル・デザインの観点も加えて日本映画にも字幕を添えることがスタンダードにならないといけないように思う。

by ヤマ

'04. 5. 1. あたご劇場



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