『キノ・ライカ 小さな町の映画館』(Cinema Laika)['23]
監督 ヴェリコ・ヴィダク

 今のようにタイパなどという言葉が人口に膾炙する以前の、僕が若かりし頃は、経済効率を口にする者はいても時間効率に言及する者が殆どいなかったから、僕は経済効率よりも大事なのは時間効率だと嘯いていたけれども、今のように誰も彼もがコスパ、タイパなどと言い出す少し前から、時間効率などという言葉を口にすることが無くなり、むしろ必要な不便・非効率」といった寄稿を十五年ほど前に行なったりしている。

 だから、とりわけ“芸術と生活の間”にある領域において、タイパなどを持ち出すのは本末転倒というか愚の骨頂だと感じているが、今や早送りで観ることが流行っているらしいようで、呆れるほかない。だから、そのような価値観とは真逆にあるカルッキラの人々の姿を観るのは、心地が好いのだけれども、それにしても人口九千人の村で、というのは恐れ入った。もはや道楽以外の何ものでもないと思われると同時に、アキ・カウリスマキ監督のかの地におけるセレブリティぶりに恐れ入った。掛ける映画で集客を果たすのではなく、キノ・ライカというトポスによって興行を成立させることができているようだから大したものだ。かつて細々と自主上映を続け、前世紀で活動を終了させた僕としては、複雑な思いの去来する作品でもあった。

 オープニングで日本語の知らない歌が流れて吃驚した。篠原敏武という日本人歌手の歌声らしい。四十年来フィンランドに住んでいて、同国の歌を日本語歌詞にして歌っていたほか、ダークダックスの歌唱で覚えのある♪雪の降るまちを♪なども登場していた。また、僕と同学年に当たるアキ・カウリスマキの映画との最初の出会いが『ママと娼婦』['73](ジャン・ユスターシュ監督)だと語っていたことに吃驚した。宿題映画のまま半世紀が来ている未見作だ。そして、決定的だったのは『極北のナヌーク』『黄金時代』の二本立てを観たことだったと語っていたのが印象深い。この二本は幸いにして、僕も既に観ている。ロバート・フラハティルイス・ブニュエルか、成程と思った。台詞を削いで静かにドラマティックに描くカウリスマキの淡々とした語り口は、そこから来たのかと得心した。
by ヤマ

'25. 1.26. キネマM



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