『祭りの準備』['75]
監督 黒木和雄

 籠の鳥で始まり、籠の鳥を放った東京への旅立ちで終わる本作は、僕のなかでも少し特別な映画で、スクリーン観賞だけでも3回観ている。最初は、大学進学で上京したばかりの '76年4月で、2回目は僕が成人を迎える直前の '78年3月。3回目は、東京から帰郷して就職したばかりの '80年6月だから、それなりに若かりし頃の節目の時期に観ている作品だ。そればかりか、'96年に上梓された拙著高知の自主上映から-「映画と話す」回路を求めて-の帯文に推薦の辞を寄せてくださった黒木監督の映画と出会った作品だから、久しぶりに観てもほとんど覚えのあるシーンばかりだったのだが、もう何十年も観ていなかったせいか、えらく驚いたことがあった。

 本作のなかで老いらくの恋の妄執の果てに命を失うシゲ爺を演じた浜村純は、特にお気に入りで、その老いの演技が見事だった覚えがあったのに、この歳になって観ると、なんだか随分と若く見えることにいささか衝撃を受けた。確か実年齢以上の役を演じていたような覚えがあって、その老けぶりに感心した記憶があったのだが、画面のなかのシゲ爺が随分と若々しく見えて自分の年齢を思い知らされるような気がしたのだ。

 当時、浜村純はいったい幾つだったのだろうとネットで調べてみてさらに驚いた。1906年生まれとのことだから、69歳だったことになる。今の僕のちょうど十歳年上だ。されば、決して老け役ではなく、歳相応の役どころだったわけだ。また、ヒロポン中毒で正気を失ったタマミ(桂木梨江)にはどこか聖女の如き影が差していて、兄の利広(原田芳雄)が行水の妹の身体を洗ってやっているシーンはめっぽう美しかった覚えがあったのだが、長い年月が経つと結晶作用が働くことを免れなかったようだ。

 楯男(江藤潤)が、夫の清馬(ハナ肇)に愛想を尽かした母親(馬渕晴子)のみならずオルグの男から棄てられたと思しき涼子(竹下景子)から、代償的な執着を向けられることに息詰まる感じを抱いたことが踏ん切りの引き金になっていた部分は、四十年前に観た当時よりも頷けるように感じた。おまけに、正気を取り戻したタマミからも赤ん坊が楯男に似ていると微笑みかけられるのだから、逃げ出したくなるのも道理だ。確かに夜這いには行ったものの、果てる前に祖父のシゲ爺に剥ぎ除けられていた楯男には思い当るところがないはずだ。

 観賞後、画面に幾度も出てくる“激しい風に吹き晒される赤い襤褸布のイメージ”は何を示しているのかといったことが、内輪の観賞会に誘ってくれた平林牧師から提起された。そこのところには僕も興味があって誰かの発言を待ったが、何も出ずに別の話に移った。ある種の荒涼感を抱かせるかのイメージは、教科書的には、やはり楯男の心象をシンボライズしているということになるのだろう。くすんだ色合いの赤が激しく打ち震えているさまに、鄙の地で悶えている楯男の魂を感じていたのだが、帰宅後、平林牧師の用意してくれていた『祭りの準備』~ナカムラングラフィティと題するリーフレットを読んで、“風に吹き晒される赤い襤褸布のイメージ”というのは、作り手のイメージした“中村の土地柄”だったのかもしれないと思った。そして、あの赤の色は、楯男が置き残してきたナカムラの女性たちのイメージのようにも思えた。加えて、その女性たちに甘え依存して生きている清馬や中島兄弟(石山雄大、原田芳雄)のようなハグレ者の男たちの命の色のようにも思えた。

 京都出身だとの平林牧師がリーフレットに綴ったなかに、本作に描かれたそういった風土について、細君の祖母が「土佐はこんなやない」と言い、母親は無言…と記し、僕の同窓生(小学生時分の塾及び卒業高校)でもある細君が「これは幡多やき、まだ上品、土佐はもっと激しい」と言ったと書いてあったのが可笑しかった。彼女は、西原理恵子の描く浦戸とも程近い長浜に育ったユニーク極まりない人物で、同窓生のなかでも際立った印象を残している女性だ。確かにキャラの濃さでは、『祭りの準備』に登場しても違和感がないように思う。



参照テクスト:黒木監督との往復書簡 とべない沈黙について





推薦テクスト:「ヒラリン牧師の部屋 ♪土佐の高知の伊勢崎町から」より
http://bapisezaki.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_806a.html
推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2021/09/post-98c958.html
by ヤマ

'17. 6. 8. 高知伊勢崎キリスト教会



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