美術館夏の定期上映会 “特撮映画大会”

①『ガス人間第1号』('60) 監督 本多猪四郎
②『妖星ゴラス』('62) 監督 本多猪四郎
③『マタンゴ』('63) 監督 本多猪四郎
④『海底軍艦』('63) 監督 本多猪四郎
 二日間に渡って上映された八作品のうち、前日の『ゴジラ』('54)、『宇宙人東京に現わる』('56)、『世界大戦争』('61)、『大魔神怒る』('66)は観逃したが、製作田中友幸・監督本多猪四郎・特技監督円谷英二という最強トリオによってカルト的人気を得ている四作品をスクリーンで観ることが出来、大いに満足した。'58年生まれの僕には、いずれも五歳以下のときの作品で公開時に観ることが適わなず、噂には聞きながらも、四十七歳の今に至るまで残念ながら観ることなく過ごしてきた映画だったからだ。
 改めて思ったのは、先頃観たばかりの現在公開中のスター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐にしてもそうなのだが、今も昔も、洋画にしても邦画にしても、SF特撮映画というものが決して子供向きに作られているわけではないのに、何故にしてそのように言われ続けているのだろうかということだった。映画作品自体を観ずに題名と設定のみで物を言っているとしか思えない。

 最初に観た『ガス人間第1号』など、春日流の若き家元である藤千代(八千草薫)の浮世離れした美しさに入れあげ、盗んだ金の全てを注ぎ込んで彼女の夢を果たそうとする図書館司書の水野(土屋嘉男)の物語で、現世で咲かせた一夜の儚き華のごとき舞の後、覚悟の心中のようにしてあの世に旅立った二人の姿をクライマックスにした作品だから、およそ子供向きだとは言えない。長唄や八千草薫の舞が見せ場になっていて、若年の家元をないがしろにし、その発表会への顔見世が金ずくでないと叶わない芸能世界の“美とは懸け離れた醜さ”や、完璧に証拠を残さない犯罪であるが故にガス人間の存在は、それを口実にした騙りの犯罪を誘発するといった警察の指摘など、どこを取ってみても子供向きとは言えない味付けが施されていた。三十路直前の年頃かとも思われる八千草薫の“楚々とした艶やかさ”という矛盾した形容を以て表すほかないような得も言われぬ官能性が印象深い大人の娯楽作品だった。

 『妖星ゴラス』にしても、木南法相(小沢栄太郎)の存在が効いていて、政治的な思惑で宇宙省管轄の土星探査船 隼号の事故を死亡した園田艇長(田崎 潤)個人に押しつけ、政府責任を回避しようとする老獪な姿と対照的な率直さと軽やかさを際立たせていた鳳号パイロットの金井(久保 明)の存在による老若の対比や、終盤の南極怪獣マグマの登場と同様に何ら必然性もない野村滝子(水野久美)のサービス・シーンの多用と園田智子(白川由美)との対照など、ターゲットが成人男子であることは間違いない。それにしても、南極大陸一帯に何基もの巨大なロケット噴射機を取り付け、地球を軌道から外してゴラスとの衝突を避けるなどという奇抜さを映像化して、地球のお尻が丸く赤く燃えている姿を画面に観たときは、思わず笑いを禁じ得なかった。何とも楽しい作品だ。地球の数千倍もの質量を持つゴラスの引力にロケット噴射機で対抗できるような気がしないが、それはともかく、ゴラスの引力によって大津波に見舞われる特撮シーンは観応え充分で、ミニチュア模型が活躍する南極ロケット噴射機建設のシーンと同様に、CG抜きのローテク特撮の醍醐味を堪能させてもらった。

 『マタンゴ』もまた、キノコを食ってキノコ人間に変身してしまうというとんでもない設定ながらも、極限状態に置かれた人間の晒すエゴのありようを緊迫と脱力の予期しがたい絶妙のバランスで大真面目に綴ったカルト色の濃い作品で、当然ながら子供向けとは思えない作品だった。午前中に観た『ガス人間第1号』の土屋嘉男も『妖星ゴラス』の水野久美も久保明も出演しており、ドラマ展開と演出では四作品中、随一だったように思う。軟弱で貧相な小説家吉田(太刀川寛)に麻美(水野久美)がなびいていくことには、個人的に了解しがたいものがあったけれども、得てしてそういうものだということも含め、これまた大人の娯楽作品だったように思う。

 『海底軍艦』も、旧帝国海軍大佐 神宮司(田崎 潤)が極秘裏に二十年掛けて独自に建造を進めていたという水中・地中のみならず空中も自在に進む海底軍艦以上に、守護神マンダを奉る海底都市ムウ帝国の造形に濃厚なカルト色の感じられる作品だったが、若き旗中(高島忠夫)が大佐に言う「愛国心などという錆び付いた鎧を身にまとった」などという汎世界主義的な台詞は、四年前に日誌を綴ったゴジラ・モスラ・キングギドラ/大怪獣総攻撃』('01)のような近年のゴジラ映画に限らず、今の東宝特撮映画には決して登場し得ないものだと思った。
 この作品の大きな構成は、恩義ある元上官の楠見(上原謙)の説諭にも耳を貸さなかった神宮司大佐が愛娘 真琴(藤山陽子)の訴えに改心し、大日本帝国再興の夢を脱して、世界のために戦うことに目覚め、地底人を討つべくムウ帝国を滅ぼしに行くというものだった気がする。言わば、一国への愛国心に囚われない“愛世界心”への目覚めを訴える形の映画だったわけだ。四十年前はそうだったんだよなぁと、『妖星ゴラス』ともども田崎潤の役どころの呼称だった“艇長”なる言葉の耳慣れ無さと相俟って、時の経過というものを強く感じるのみならず、昔の作品の持っていた志のほうに共鳴する自分を意識させられたように思う。そして、今や確実に自分が古い世代の側に属していることを痛感させられたような気がした。しかし、今の若者を、価値観をそういうふうに操作している世代自体は、自分とそう違わなかったり少し年上だったりする状況を思うと、なんだか釈然としない気持ち悪さにも包まれる。昔の映画を観ると、いろいろなことを触発されるものだと改めて思った。


*『ガス人間第1号』
推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/rs200112.htm#ガス人間第1号

*『妖星ゴラス』
推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/rs200112.htm#妖星ゴラス

*『マタンゴ』
推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/matango.htm
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0508_1.html

*『海底軍艦』
推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/kaitei.htm
by ヤマ

'05. 8. 7. 県立美術館ホール



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