美術館春の定期上映会 “ヨーロッパの3人の鬼才監督”

Aプログラム
奇跡の海['96]
 (Breaking The Waves)
監督 ラース・フォン・トリアー
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』['00]
 (Dancer In The Dark)
監督 ラース・フォン・トリアー
Bプログラム
『神経衰弱ぎりぎりの女たち』['88]
 Mujeres Al Borde De Un Ataque De Nervios
監督 ペドロ・アルモドバル
『パラレル・マザーズ』['21]
 (Madres Paralelas)
監督 ペドロ・アルモドバル
Cプログラム
『ZOO』['85]
 (A Zed & Two Noughts)
監督 ピーター・グリーナウェイ
『プロスペローの本』['91]
 (Prospero's Book)
監督 ピーター・グリーナウェイ

 ミニシアターブームと言われた時代を同時代で過ごしてきている者にとっては、懐かしく擽られる3監督の特集上映は、聞くところによると、前館長の置き土産企画だそうだ。彼とは同時代を過ごしてきた旧知の間柄なので、並べられた3監督に成程と思いながら、それならトリアー作品を両方とも地元でも公開済みの作品とはせずに、当地では上映されていない、僕も未見の『キングダム』['94]か『マンダレイ』['05]にしてほしかった気がした。既に当地でも上映済みの作品なら、山形国際ドキュメンタリー映画祭の矢野東京事務局長から薦められて採り上げた『ヨーロッパ』['91]としたいところだ。この2作品ならば見送ってもいいかなと、翌日のBプロCプロだけ観てきた。

 最初に観たアルモドバルの『神経衰弱ぎりぎりの女たち』は、三十三年前に自分たちで上映して以来の再見となる作品だ。高知映画鑑賞会の例会作品として取り上げるよう、いつになく僕が強く主張した覚えのある映画で、同僚運営委員からは、例会作品には弱すぎるとか、タイトルに難があるとか散々だったなか、通常は一作品の例会作品を二本立てにすることで了承を得た経過があるので、いきなり画面に現れ出たアルモドバル・カラーのインパクトのある色彩を眺めながら、これを再びスクリーン観賞できたことへの感慨を味わった。女性関係にだらしのない口先出鱈目男のイヴァン(フェルナンド・ギリェン)に翻弄される声優稼業のペパ(カルメン・マウラ)の周辺で起こる、色恋を巡るドタバタ劇そのものは、むかし観たとき程には笑えなかったが、ほんの若造のアントニオ・バンデラスを観ながら、時の経過をしみじみ味わった。

 続いて観た三十三年後の作品『パラレル・マザーズ』は、当地未公開作だ。オープニングから印象づけられる色彩感覚は流石で、その洗練度が時の経過のなかで格段に増していることがよく判るとともに、主題の深みにしても、デリカシーに富んだ描出や人物造形の豊かさにしても、見事な年季を窺わせていて恐れ入った。タイムズ紙によるこれまでで最高のペネロペ・クルスだ。というフレーズが、手元にあるチラシに惹句として引用されているが、同感だ。是枝作品のそして父になる['13]を想起させるような取り違え物語のなかで、ケン・ローチの麦の穂をゆらす風['06]を思い起こさせるような未決の歴史に臨む孫子の責務と想いを問うとともに、そのスタンスのなかにアルモドバルがずっと追ってきた“母なるもの”が宿っていて、実に感慨深い作品だったように思う。両作ともに印象深い役どころで姿を見せていたロッシ・デ・パルマの経年変化による対照ぶりも愉しかった。

 昼食休憩後に観たグリーナウェイ作品は、ほぼ同時代において『建築家の腹』『コックと泥棒、その妻と愛人』『ピーター・グリーナウェイの枕草子』『8 1/2の女たち』を観てきたなかで観逃している宿題映画だったものだ。あと『数に溺れて』と『ベイビー・オブ・マコン』を観れば、『英国式庭園殺人事件』と『レンブラントの夜警』は、もういいかなと思ったりしている。先に観た『ZOO』は、原題A Zed & Two Noughtsをもじって滝本誠がひとつの終末(Z)とふたつの創生(O)と題していた、公開時のチラシの文章が気になっていた作品だ。イギリス映画ながら、フェルメールを生んだネーデルランドを舞台にした“動物としての人間を見世物にしたような作品”で、アルモドバルとはまた違った色彩感覚の強さと、刺激的で挑発的な画面作りが目を惹く。ジャンル的にも幅広い引用の豊かさが目に付く“知的遊戯に満ちた作品”でもあり、過激であることがお洒落だったバブルの時代に人気を博したことが頷ける映画だった。

 続いて観た『プロスペローの本』もまた同様の趣向の元にある作品ながら、グロテスクなまでの過剰さには『ZOO』以上のものがあって、些かくどく冗長にも感じたが、序章に続くタイトルバックの数十人の裸体の老若男女が無修正で現れる長回しの凝った画面に呆気に取られたものが二時間余りもの間、殆どプロスペロー(ジョン・ギールグッド)の独り語りで繰り広げられるという圧巻の作品だったように思う。今の時代には、再現されることのできない映画のような気がして、けっこう感心させられた。水の本から鏡の本と続く二十数冊の本の内容を視覚化したと思しき、魔法のような妄想のようなイメージの連打と、最後のほうでちらりと登場したようにも思われるシェイクスピアの戯曲『テンペスト』を踏まえたシノプシスには、かなり目を惹くものがあっただけに勿体ない気がした。

 すると映友が早送りしても、飛ばしても最後まで行けなかったレアな作品と寄せてくれたのが可笑しかった。確かに自宅観賞向きではない。僕にしても、プロスペローがぐだぐだ喋っているのをもう少しどうにかしないものかとは思いながら観ていた。


公式サイト高知県立美術館

by ヤマ

'24. 5.26. 美術館ホール



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