『麦の穂をゆらす風』(The Wind That Shakes The Barley)
監督 ケン・ローチ


 陽にも風雨にも晒される麦の穂のようにして大地に根を張り生きている名もなき人々を揺らしていた風は何だったのだろう。それは、デミアン(キリアン・マーフィ)を感化したダン(リーアム・カニンガム)のなかに流れていた“生活体験に根ざしたコミュニズム思想”では決してなくて、眼前に憎々しげに聳え立つ英国を打ち負かして追い出すという“敵対意識の仮託を受けた民族主義としてのナショナリズム”だったということなのだろう。この風に煽られて神学の道を断って自ら体現するようになったのがデミアンの兄テディ(ポードリック・ディレーニー)だったわけだ。

 一年余り前にこの作品を観たとき、日誌を綴る余裕がないままに残した備忘録に戦いにおいて、戦う相手を見つけるのは簡単なことだけれど、なぜ戦うのかを見出すことは次第に、より難しくなるといった台詞があって、映画の序盤で情報を売った幼なじみを処刑しなければならなくなったデミアンが、「こんなことまでして続けるだけの価値のある戦いなのだろうか。」と嘆息していた場面と呼応して、重く響いてきた。やむなき戦いはあれど、正しき戦いなどというものは、一切ありはしないということを改めて思う。といったことを記してあった。

 オープニングの草ホッケーの試合の場面で象徴的に示されていたように、成果をあげるためにはルール違反もラフプレーも厭わず、タフで突破力のあることが人々からの嘱望を集めていたテディは、英国を打ち負かして追い出すために必要な“やむなき戦い”に邁進していたわけだが、その“やむなき”により、弟デミアンに幼なじみのクリスを処刑させ、武器調達の資金源なるが故に有罪刑を受けた高利貸しを強引に釈放して民主裁判の判決を反古にし、“妥協としての現実主義”から、独立を捨てた自治権獲得によって内戦状態を招き、遂には、“現実の本質を見失わないという意味での現実主義”から兄の与する国軍と敵対せざるを得なくなった弟を“やむなく”処刑する命令を発するに至る。人々どころか当人さえも不幸に陥れる、かような本末転倒というものが正しかろう筈もないのだが、なぜにそのようなことになるのかと言えば、テディが妥協としての現実主義からやむなく信奉し体現したのが“敵対意識の仮託を受けた民族主義としてのナショナリズム”であって、“人民主義”ではなかったからだという気がする。民族主義としてのナショナリズムでさえそうなのだから、国家主義としてのナショナリズムだと尚更の本末転倒を招くはずなのだが、現実が厳しい状況にあるときほど、分断と敵対を企図して仮託されたナショナリズムが喧伝されるのは、1920年頃のアイルランドに限った話ではなく、平成の不況下の日本でもずっと煽り立てられていたことだったように思う。

 今回で二度目となる『麦の穂をゆらす風』鑑賞のちょうど十年前に、ニール・ジョーダン監督作品マイケル・コリンズを観たのだが、そのとき少々不満に思った「個々人の生き様が強調されるなかで、歴史としてのスケール感が後退した感」というものが、本作ではちょうど反対に作用して、兄弟の対立と葛藤そして引き裂かれを描いていながらも、まさしく血を分けた同胞が意を違え、心ならずも血で血を争うことに向かっていった民族的悲劇を、人間なるものの哀しき愚かさとして悲嘆と共に描き出し、スケール感として醸し出しているように感じた。さすがケン・ローチだ。

 そして、テディの抱えていた強さと苦悩というものが、ちょうどニール・ジョーダンの描いていた『マイケル・コリンズ』と重なる部分が大きいところには、『麦の穂をゆらす風』がニール・ジョーダンに対する批判作品として撮られた側面があるのかもしれないという気もした。イギリスがアイルランドに対して自治権を有する自由国として認める条件に、北アイルランドの分離とイギリス連邦下に留まることを持ち出したことが、強い絆で結ばれていたテディとダミアンの兄弟の引き裂かれに象徴されているアイルランド勢力の分断を狙ってのことだったのか、イギリスなりのぎりぎりの譲歩だっただけなのか、ということについて即座には断じ得ないが、結果として、その後何十年にも及ぶアイルランド問題のこじれに繋がったのは間違いなく、第二次大戦後にイギリス連邦下の多くの植民地が独立を果たしたことにも後れを取ることになった。そうしてみると、ダンやダミアンが見失わなかった“現実の本質を見失わないという意味での現実主義”は、テディの“妥協としての現実主義”よりも正しく優れているにもかかわらず、アイルランド勢力内部での分断と敵対という本末転倒に対しては、その克服に及ばないどころか、むしろ助長に繋がる面のほうが強かったようにも思われ、尚更に哀しくやりきれない思いを誘われるような気がした。そして、こういった闘いのロジックというものが如何にもの男性文化を示していて、若い息子を殺されたり恋人を奪われる悲痛に対しても「二度と顔を見せないで」との責め言を発して耐えるしかない苦しみを負わされ、ただただ痛めつけられるのは女性であって、独立戦争に携わるようになったデミアンが述懐していた「続けるだけの価値のある戦いなのだろうか」との懐疑が彼女たちにおいては懐疑以前の自明さを持っていることを映し出していたように、僕には感じられた。独立戦争のとき以上の犠牲者を生んだらしいこの内戦の顛末を思うと、そもそも彼らが拠って立ったはずの民族主義とは一体何だったのだろうとの本末転倒ぶりに暗然たる思いが湧いてくる。英軍と戦っていたときに匿い食糧を与えてやった若者たちが今度は自由国軍兵士として、かつての英軍兵士と同じ横暴な振る舞いを見せて現れることに慨嘆する小母さんの姿が痛々しかった。

 かかるまでの犠牲を払ったところで、結局のところ“生活体験に根ざしたコミュニズム思想”の具現化を果たした社会というものは、近代以降の人類史上、一度も誕生したことがなく、愚かなる人類は、それを成し得ないということなのかもしれない。さりとて市場主義を極めていくような酷薄社会への道を邁進したくはないのだが、世の中、どんどん悪くなっているような気がしている。




推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0703_2.html
by ヤマ

'08. 5. 4. 県民文化ホール・グリーン



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