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『情婦マノン』(Manon)['49] | |||||
監督 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー | |||||
これがクルーゾーの『情婦マノン』かとの思いとともに観た。高校時分に亡父から聞いて以来、ずっと宿題のままになっていた作品だ。 ドヌーヴの『恋のマノン』は、1970年のマノン。本作は第二次世界大戦のパリ解放となった後のマノン。いずれにしても原作小説のシュヴァリエ【騎士】の時代ではなく、'70年のフランクとも異なるロベール(ミシェル・オークレール)との名だが、マノン・レスコー(セシル・オーブリー)の名に変わりはない。いつの時代にも普遍的なる魔性の女ということなのだろう。 だが、ロベール・デグリューとマノンの関係における惑溺と堕落の運命的な腐れ縁というものが、どちらかと言えば、生活苦と堪え性の無さのような形で映って来るところに難があり、思ったほどのものではない気がした。ヴェネチア映画祭グランプリに輝いたのは、一にかかってラストの荒野と砂漠のシーンによるものなのだろう。 なかでもマノンの亡骸を逆さに背に担いで歩く著名なショットは、出色ながらも既視感があったせいか、その直前に現れた“砂の斜面を引き摺り下ろすショット”の美しさが目を惹いた。まさに滑るようにして堕ちていった二人だった。それにしても、死して一度、瞼を閉じられた死体の目が再び開くということは実際にあるものなのだろうか。 また、今の時代に観ると、パレスチナに辿り着いたユダヤ人難民をアラブ人の騎馬隊ならぬ騎駱駝隊が、銃を乱射して殺戮する場面が強烈に映って来る。七十五年前のフランス映画だとこうなるわけで、それもまた紛れもない事実の一つを象徴していたに違いない。 期せずして、過日読んだ 『反戦川柳人 鶴彬の獄死』<集英社新書>に引用されていた「「故郷の農村もひどいが、工場はもっとひどかった」という言葉が本当なのか、「工女さんたちは、貯金も出来たし、町に活動写真も観に行けた」というところを拾うのが正しいのか。それによって工女が本当に「哀史」だったのか否か、見方ががらりと変わりますでしょう。」(P81)との加藤陽子東大教授の言葉を証しているような気がした。 | |||||
by ヤマ '24. 5.22. DVD観賞 | |||||
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