『そして父になる』
監督 是枝裕和


 6歳の少年たち二人共に少々出来過ぎの感が否めないけれども、非常によく練られた脚本とデリカシーに富んだ演出で、見事に設えられた作品だったように思う。

 やはり本作の鍵になっているのは“ロボット直し”なのだろう。僕が最も好きな場面もロボット直しのシーンで、親しみを覚えつつも居場所にまではなっていない斎木家の上り框のようなところから、暗くなった夜の戸外を眺めている慶多(二宮慶多)を抱き包んだ後、ゆかり(真木よう子)がロボットを直してあげると言って、慶多の胸を開く仕草をしてから擽り笑わせた場面だった。

 直して直せるものと直せないものがあり、直すのが得意な人と不得意な人がある。どっちが上で、どっちが下ということではなく、人にはそれぞれ得手不得手があるにすぎない。もう子育ても終え、孫と遊ぶのを楽しむ境地にある僕からすれば、野々宮夫妻も斎木夫妻も、どっちも真面目に誠実に子育てをしている立派な親だと思った。

 みどり(尾野真千子)の母親(樹木希林)が格の違いを娘に対して口にする暮らしを稼ぎ出すことで共有時間の少なさを強いている良多(福山雅治)と、勤労意欲に乏しいお気楽加減を妻から嘆かれつつも、目一杯家族の時間を、単に共有するばかりか愉しみ楽しませることに長けている斎木雄大(リリー・フランキー)。その、どっちが上で、どっちが下というものでもない。だからこそ、どちらの家で育った子もすこぶる良い子なのだろう。

 だが、子供にとって最も嬉しいものが何なのかは、自明のことだ。知らずに来た慶多がそれを知ってしまったことで、また、それを知っている琉晴(黄升げん)が突き付けてきたことで、良多が、より深く「父になる」ことを学んでいく姿がなかなかよかった。彼は、雄大から「負けたことない奴ってのは、ほんとに人の気持ちがわかんないんだな」などと呟かれたり、学友の弁護士(田中哲司)から、より深く「父になる」なかで生じた変化を「お前らしくないじゃないか」とからかわれるくらいに、タフでクールな自信家として人生を邁進してきた人物だったわけだが、そもそも雄大にそう呟かせ、妻のみどりからも余りにも不用意だと詰られるような形での申し出をさせてしまった逆上そのものが、“ロボット直し”に端を発する、良多の父親業における敗北感によるものだったところに納得感があったように思う。予め設えられていた場面での、「ボクでないとできない仕事があるんですよ」との良多の弁に対する、雄大の「父親かてそうやろ」との返しが効いていた。

 しかし、少なからぬ観客が良多をダメな父親と観ているらしいことに対しては、僕には違和感がある。子供らから気づかされる幾つかの大きな勘違いをしていても、彼は、父親として決してひどい父親などではなかった気がするのだ。けっこう子供の起きている時間に帰宅していたし、取り違え事件が発覚する前から、子供のことについて妻と話もしていた。何と言っても、慶多がピアノの練習をしているところに寄って行って連弾を添えたりする父親なのだから、大手企業での昇進競争に勝ち抜くことと両立させようとしているなかでは、相当の頑張りだという気がする。

 また、そのタイミングの良し悪しは別にして、琉晴を引き取ったときにも子供の箸遣いを気にして矯正しようとしていたことも、子供への無関心とは対極にあるものだという気がする。野々宮家での教育方針は、決して妻任せではないように感じた。雄大との対照のなかで、仕事にばかりかまけていて、家庭のことは全て妻に任せ、子供と接することの少ない父親として観られがちだが、それは、妻のみどりの目に映ったというか、みどりの口にのぼった言葉による良多がそうなのであって、専業主婦と思しき彼女にとってはそれが偽りのない心情だったとしても、僕には客観的事実がその言葉通りだとは思えなかった。

 ただ良多は、父親として本当に大事なものが何なのかを実感として掴めていないのだろう。それは、彼自身の成育歴なり成育環境としての父親との関係がうまく結べていないことに起因するもののような気がした。頭がよく誇り高い彼は、相当に早くから、自立するためにはタフなクールさで自力で頑張り生き抜くしかないんだとの覚悟を決めた子供だったのではなかろうか。他者の気持ちを汲み取る想像力に乏しい彼の歪さというのは、自分のことで一杯一杯だった、そこのところから来ていることのように感じた。彼が自覚的に選んだ生き方における功罪の罪の部分だ。だが、子供たちから教わった気付きにより、友人からからかわれるくらい変化するのは、彼が誠実な父親だったからこそで、功罪の罪の部分もその程度には救いのあるものだったわけだ。それだけ子供の存在は偉大だ、ということでもあるのだが、確かに、妻には変えられない部分を、子供は変えてくれるものだという気がする。そして、それこそが「父になる」ということなのだろう。

 だから、良多が女性観客の反感を買うとしたら、父親の部分よりも専ら“夫”としての部分のような気がする。妻への相談というものが皆無じゃないか、イーヴンじゃない、偉そうだということであって、その点、雄大はとなるのだろう。そういう意味では、妻ゆかりに、子供が四人から五人に増えるだけのことだからというようなことを言わせる雄大の家族マネージメントは、結果的に良多よりも巧妙かつクレバーなのかもしれない。むろん彼は、意図してそうしているわけではないからこそ奏功しているのだが、無意識のうちに発するものほど効果的なものはないとしたものだ。

 それにしても、子育てにおける黄金の六年間を奪われた関係のやり直しというのは、何とも難儀な“ロボット直し”に他ならない。誰もが上手くやれるものではないけれども、誰にもできないことでもない。不得手な良多が、血よりも時間の重みへの気づきを確信するラストは、しかし、良多と慶多の間で確認されただけのものであって、両家族全体の結論ではない。元に戻そうと良多が言い出せば、すんなり収まるほど、小学入学を挟んだ一年近くの時間は軽くはなくて、育ての子への裏切りではないかとの自責を招くくらい、確実に実の子のほうにも情が移っているのは、みどりだけではないはずなのだ。

 このあと、どうなっていくかは、観客の想像でしかないが、奇しくもパパと父さん、ママと母さんの二人づつの両親を得た子供として円満に育っていく道はないものかというふうに思った。奇しくも野々宮・斎木どちらの側からも、それぞれ良多とゆかりが時期をずらして「なんなら両方ともうちが引き取りましょうか」との発言をしていたわけだが、何もどちらかが両方を引き取ることにこだわる必要はないのだから。

 どのような距離感が彼らの関係を円滑にするのかについて、もちろん約束された処方箋などあろうはずもないのだが、ラストでの良多と慶多の歩みが想起させていたパリ・テキサスでのトラヴィスとハンター同様に、決して生易しいものではないことだけは確かなのだろう。




推薦テクスト:「とめの気ままなお部屋」より
http://blog.goo.ne.jp/tome-pko/e/8ede8dfb79b94a7be393b441d972aaab
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/13101401/
推薦テクスト:「映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1912852828&owner_id=1095496
推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=3700229&id=1914161426
推薦テクスト:「田舎者の映画的生活」より
http://blog.goo.ne.jp/rainbow2408/e/8c8ad8d8b2242e111d7fb6225a214f4e
推薦テクスト:「眺めのいい部屋」より
http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/0112da21d30105ae6ef7158a993c8d4f
by ヤマ

'13.10.11. TOHOシネマズ7



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