『雨月物語』['53]
『山椒大夫』['54]
監督 溝口健二

 これが溝口の『雨月物語』か。確かに格調のある画面だと感心したが、最も目を惹いたのは、信長や秀吉、柴田勝家らの名の出て来る戦国時代を舞台に、NHK大河ドラマでは決して触れられない武士なるもののろくでもなさが存分に描かれていることだった。本作に登場する侍たちは、乱暴狼藉、略奪、強姦、人殺ししか行わない。ヤクザよりも数段タチの悪いならず者だ。高校の同窓生でもある郷土出身の作家 坂東眞砂子が大河ドラマにだまされるな”との挑発的なタイトルで地元紙に寄稿していた痛快エッセーのことを思い出した。

 そして、いつの時代においても男どもが幻惑される“夢と称する欲”の三主題たる色、カネ、出世に目が眩み、痛い目に合う姿が描かれていた。秀吉が検地や刀狩を行う前のまだ身分が流動的で制度化されていない時代を背景にしていて、いわゆる士農工商で言えば、工たる陶器職人の源十郎(森雅之)が商売での成功を夢み、農たる藤兵衛(小沢栄)は侍に取り立てられることを夢みて、両名とも地道なモノづくりよりも、物売りや暴力集団への帰属のほうへと向かうわけだが、色にも溺れた分だけ源十郎のほうが、より大きな痛手を蒙っているところが目を惹いた。

 狡猾な立ち回りで侍大将にまで出世した藤兵衛が遊女に身を堕とした女房の阿濱(水戸光子)と再会する場面がなかなかよく、源十郎が若狭(京マチ子)に蕩けて妻の宮木(田中絹代)を蔑ろにしてしまう温泉場面がいかにもで、実に面白かった。藤兵衛夫妻のあの結末は少々出来過ぎではあるけど、作り手からの意思表示としたものだろう。命あらばこそ、生き直しも利くわけだ。

 それにしても、オープニングで「第一部 蛇性の婬」「第二部 浅茅が宿」とクレジットに記されていた二部構成というのは、何処が境目だったのだろう。上田秋成の原作は未読だが、若狭にも阿濱にも蛇性の影はなく、朽木屋敷が浅茅が宿だとすれば、両部ともが後半になってしまうので、妙に腑に落ちなかった。ともあれ、男の愚かさによって女たちが難儀や遺憾を負わされている姿のなかに、作り手が映画の冒頭でクレジットしていた、『雨月物語』が現代人に呼び起こす新しい物語としての本作の普遍性を感じた。

 高校の先輩が「目を覚ますとそこは荒れ果てた家で、昨夜の妻は死霊だったという話が、ただ、怖かった。」と寄せてくれたが、これについては、小林正樹の怪談['65]のなかの似たような話である小泉八雲の「黒髪」における新珠三千代のほうが、田中絹代よりも怖かったような気がした。


 翌日観た『山椒大夫』は、『雨月物語』の戦国時代に対して、森鴎外による平安時代となったが、モノづくりを生業としない連中の阿漕さは、武家社会以前の貴族社会でも同様で、全くろくでもない有様だった。『雨月物語』よりも凄惨な残虐場面が多くて、妙な味の悪さが残ったのは、平正道の名を得て国守に任じられる厨子王(花柳喜章)の人物造形に深みがなかったせいかもしれない。国守になって発した御触れによる人身売買禁止と奴婢の解放が、彼らの為というよりも厨子王自身の気の済まなさから出たもので、施策としての後先をまるで考えていない刹那的なものに映るような運びになっていた気がする。歓喜に湧く奴婢たちの姿はいいにしても、山椒大夫の屋敷への火付けや略奪返しではなく、例えば、還俗した太郎(河野秋武)の行った荘園経営の転換による分配といった収め方のほうが好もしいように感じた。

 ところで、遠い日の記憶にある唄は安寿恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。だったのだが、「ほうやれほ」が出て来なかったので、書棚にある文庫本を当たってみたら、やはりほうやれほ旺文社文庫 P129)だった。ざっと読み返したところ、唄が出てきたのは最後の場面だけだったようだ。映画化作品において、山椒大夫に買われてきた小萩(小園蓉子)が口ずさんだことから安寿(香川京子)が生母の消息を知るようにしていたのは、なかなか上手い運びのいい場面だと思った。また、山椒大夫の長男である太郎が、小説では厨子王が来る前に家を出ていて、二人にはまるで接点がなかったことが目を惹いた。それに対して映画化作品において太郎をあのように造形しているのであれば、尚のこと、彼に後を託して後顧の憂いを断ったうえで職を辞し、生母探しに向かうとするのが相当だし、自然な気がした。

 また、最後の場面の玉木(田中絹代)の年齢が四十路半ばとは思えない老けぶりで、それが彼女の辿ってきた生の過酷さを示しているにしても、いささか驚いた。安寿の見張りを命じられた奴婢がその覚悟の程を察して逃がす入水の場面が印象深い。それにしても、『雨月物語』が100分を切っていて『山椒大夫』が二時間越えだったことを思うと、いかに『雨月物語』が優れていることかと改めて思った。


 合評会では、四人のメンバーが揃って『雨月物語』のほうに高い支持を与えたことが珍しく、興味深かった。溝口監督は、現場で脚本を書き直させることがよくあったらしいと聞き、もしかすると『山椒大夫』の太郎による荘園経営の件は、元の脚本においてそうだったものを、溝口監督が、山中で山椒大夫の屋敷が燃える場面を映し出したくなったばかりに書き直させたのかもしれないという気がした。CGのなかった時代に、あれは、どのようにして撮影したのだろうと訝るような、なかなか印象深い絵柄ではあったように思う。




*『雨月物語』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/6130642447035287
by ヤマ

'23.10. 9,10. DVD観賞



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