『天使のはらわた 赤い教室』['78]
『天使のはらわた 名美』['79]
『天使のはらわた 赤い淫画』['81]
『天使のはらわた 赤い眩暈』['88]
監督 曾根中生
監督 田中登
監督 池田敏春
監督 石井隆

 特集テーマが「天使」とディスクに印字されていた「#113 第102回」の『みうらじゅんのグレイト余生映画ショー in 日活ロマンポルノ』の四作品は「天使のはらわた 赤い教室【水原ゆう紀】、天使のはらわた 名美【鹿沼えり】、天使のはらわた 赤い淫画【泉じゅん】、天使のはらわた 赤い眩暈【桂木麻也子】」となっていた。

 赤い教室とのタイトルの元、ブルーフィルムによる教室でのレイプ場面から始まる『天使のはらわた 赤い教室』を観るのは、'82年の日活(併映『花と蛇』『東京エマニエル夫人』)、'06年のあたご劇場(併映『女教師 私生活』『恋人たちは濡れた』)に続く三度目だ。

 エロ雑誌を発行するポル・ノック社の編集者と思しき村木(蟹江敬三)にあんたで何人目だと思う、…さっさと済ませてと言っていた名美(水原ゆう紀)を降りしきる雨の中、心ならずも三時間待たせて三年間追っていた彼を妻子持ちにしていた設えは、何ゆえだったのだろうと改めて思った。原作者の石井隆が脚本参加したうえでの作品だから尚のこと思うのだが、僕のイメージする村木には、家庭持ちは似合わない。

 次作の『天使のはらわた 名美』での村木のように、既婚ではあっても破綻していればまだしも、自宅のベビーベッドに赤ん坊がいて、村木と名美が最初に出会った時期には些か持て余し気味だった人妻の裕子(水島美奈子)が彼の妻に収まっている図に何らかの意図があるとするならば、村木を三時間待った後、更に転落の度合いを深めてぼったくりBarブルーのホステスに加えて店の二階でヒモ(草薙良一)との白黒ショーを演じたうえで三万円で客を取る売春婦になっていた“こっちの世界”との対照を際立たせるうえでのものだったのかもしれないが、妙にそぐわない気がする。白黒ショーに興奮していきり立つ客を捌くために準備していたかのような囚われセーラー服女子の設えも、男の獣欲というものの手に負えなさを描くにしても、名美と村木の物語を映し出すうえで効果的な添え物にはなっていなかったように思う。

 だが、教育実習中に教室で集団レイプに見舞われたばかりか、フィルムに撮られて売られたことで人生を壊された名美の哀しい諦観を体現していた水原ゆう紀は、何度観ても強い印象を残す存在感が素晴らしく、改めて感心した。


 シリーズ第三作に当たる『天使のはらわた 名美』は、一年足らずでの再見となるけれど、特集テーマが「天使」の四作品の一つに挙がっていたことから、この機に観ることにしたものだ。だから、感想に殆ど異なるところはないものの、「赤い教室」を再見したばかりだったことから、名美(鹿沼えり)の取材を断っていたストリッパー蘭(山口美也子)と派手な白黒ショーを演じていたマー坊(草薙良一)の姿が目を惹いた。ステージの脇には生板ショーとの垂れ幕が下りていたような気がするが、天狗の面を腰に付けた天狗ショーだった。

 また「赤い教室」でのブルーフィルムでさえ被害者をあれほど苛んでいたことを思うと、興味本位の“その後”取材による商売優先の捏造記事のタチの悪さが余計に際立つように感じられた。それだけに村木(地井武男)の人物造形が今一つ腑に落ちなかった。


 第四作『天使のはらわた 赤い淫画』は、二十一年前にビデオ観賞して以来の再見だ。映画日誌いかんせん3倍速のダビングビデオ画像であるために赤の色が潰れていて不鮮明きわまりないのが惜しまれたと記してある部分に問題もなく、まさに“淫画”とのタイトルに相応しい猥褻感に改めて感心したが、“陰画”としての陰の部分は、前二作に比べて相当に落ちているから、ポルノ映画ファンには支持されても、「天使のはらわた」ファンには違和感がつきまとうに違いない気もした。

 阿部雅彦の演じた村木が脆弱に過ぎてドラマとしての陰翳がほとんどないことに、前回は名美を演じた泉じゅんに悩殺されて気を留めなかったことに対して些か驚きを覚えつつ気づくようなところがあり、それが面白かった。それだけ圧巻の泉じゅんだったように思う。村木をやたらと陰鬱な人物像にしていたような気がするが、キャラクターを暗くしても、ドラマに陰翳が宿るものではないのだと思わずにいられない。

 デパートの店員である部下の名美を愛人にしていた不倫主任(鶴岡修)のほうが、村木よりも印象深かった。たまたま入手したと思しき名美のビニ本「赤い淫画」を盾に脅しをかけ、愛人手当をロハにしようと企てて叶わなかったことに逆上する醜態を晒して、下衆の極みだった。このような上司になびいた名美の心境が計り知れないのだが、冒頭の自慰場面の赤く彩られた熱っぽさからすれば、性的渇望が募っていたということなのかもしれない。だとすれば、それこそが本作の弱みのように思う。ドラマ的にそう映って来ては「天使のはらわた」にならない気がする。もっとも、本作もまた原作者の石井隆が脚本参加したうえでの作品なのだから、それを言っても仕方がないのかもしれないが、些か残念に思った。

 また、前回の日誌にひっくり返したコタツの脚までも挿入して腰を振るのは、いささか漫画チックでやり過ぎと記したシーンが、前作における天狗ショーと連なるとともに、先細りのコタツの脚と比べ、丸みを帯びて先太りの天狗の長大な鼻の意匠の秀逸さを思い、そう言えば、天狗の鼻も赤い色をしていたことに思い当たった。

 三作品、続けて再見してみるといろいろ気づきが増えるもので、ブルーフィルム、週刊誌、ビニ本と形は違っても、名美を苦しめるものが“媒体”であることが共通しつつ、本作ではレイプの要素が“意に反した騙し討ち的なビニ本撮影”になっているところが、本作を「天使のはらわた」らしからぬ物語にしているのだという気づきも得た。いくら強引な“雨”を演出的になぞってみても、それでは駄目だと思う。「赤い教室」の名美が三時間も待った末に逢えなかった“約束”については、「赤い淫画」の名美は一時間待って会えたけれども逢瀬にはならなかったという形での置き換えになり、ずぶ濡れの名美からずぶ濡れの村木に置き換えて印象づけられる造りになっている点が目を惹いた。

 それにしても、同僚のデパートガール瞳(栗田洋子)の存在、とりわけ名美の瞳への関わり方が不可解で、名美のビニ本撮影にまつわる瞳の関与についての“名美のなかでの決着”はどうなっていたのだろうなどと思った。


 前作から七年後になる第五作『天使のはらわた 赤い眩暈』は、石井隆が原作・脚本に留まらず監督にも乗り出した初監督作で、今回取り上げられた四作品では唯一の初見作だった。写真の現像を行う暗室の赤い照明や電気ストーブのヒーター管の赤が印象づけられる本作では、名美を苦しめる“媒体”の対象が彼女自身ではなくなり、同棲するカメラマンが撮った浮気相手の写真や現場になっていた。例によって“雨”は出てくるし、“襲われる名美”も出て来るけれども、「天使のはらわた」的な“過去を背負った物語”の奥行きに乏しく、ともに自暴自棄になった三十路男と若い女の一時的な現実逃避の顛末が描かれるだけの作品になっていた気がしなくもない。

 証券会社の中間管理職だった村木を演じた竹中直人は、まだ暑苦しいような濃い演技をしておらず、思惑外れて全てを失ったサラリーマンのどん底の情けなさを体現していたように思うが、若い看護婦の名美がどうして傷害拉致犯の村木にコミットするようになるのか、腑に落ちなかった。構成的には、全てを失って自暴自棄になった者同士がまぐわい相憐れむ肌合いの馴染みによるものとしたものなのだろうが、愛のコリーダなみにラブホテルでのべつ幕なしに交わり続ける村木と名美(桂木麻也子)の場面にはそれなりの観応えがありながらも、『愛のコリーダ』のような宿業を思わせるほどの説得力はなかった気がする。その違いが『愛のコリーダ』に浮かび上がっていた厭世観と本作に現れていた現実逃避の違いだったように思う。

 体を抜け出た村木の魂が名美を求めて、それこそ空を飛んで(助けに)来ていたわけだが、「赤い教室」の三時間よりも更に長い一晩中待ってはいても、ま、いっかで済ますことができ、後を引いて転落の度合いを深めていくことはなさそうな名美のタフさとも軽さとも言えそうな部分が、'70年代の名美にはなかったものとして印象づけられていたような気がする。壊れていたはずのカセットコーダーから最後の場面で流れ出ていた♪テネシーワルツ♪は、亡父の愛聴歌でパティ・ペイジの歌うシングル盤が僕の耳にも残っているが、この寝盗られ失恋ソングの本作での歌声は、'50年代のパティのものとは違っていたけれども、誰が歌っていたのだろう。なかなかの哀調だったように思う。

 '70年代の名美は、'80年代にはもういなくなっているわけだが、この後さらに'90年代の名美が現われる『天使のはらわた 赤い閃光』['94]という映画もあるようだ。そして、同作を以て「天使のはらわた」を名乗る映画は終わりを告げたらしく、以後は、名美と村木が登場しても「天使のはらわた」とは題しなくなっている。妥当な判断のように思う。それだけに最後の「天使のはらわた」となった「赤い閃光」も観てみたいものだと思った。

 加えて今回の収録で添えられていた「新・監督は語る」を視聴したが、なかなか興味深いものだった。思いのほか生真面目で真っ当そうな人物だった。番組は、訃報を受けて1998年のインタビューにコメントを加えたもので、石井監督の話では、元々映画業界志望で、劇画家になる前に日活の『涙でいいの』['69]で助監督に就いていたのだそうだ。ところが埃塗れの現場に持病の喘息が持ち堪えられずに断念したらしい。道理で、念願の映画進出を果たして以来、劇画家のほうは断筆していたわけで、そのことへの納得感が得られた。また、原作、原作・脚本、原作・脚本・監督と進展してきた映画版「天使のはらわた」シリーズにおける最初の映画化作品『女高生 天使のはらわた』が最も原作漫画どおりに実写化がされていて、台詞も吹き出しに書いたものをそのまま使っていたとの話もあって、矢庭に観たい気持ちが募った。だが、聞くところによると国内ではソフト化できない事情があるらしく、北米版しかないらしい。



*『天使のはらわた 赤い淫画』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/katsuji.yagi/posts/pfbid02auD6YH1GsxGiuLo
QihU7P7s7rByyjFeVarLrNksvTZ5d2WtLXfVnF5yi2yTScFVsl

by ヤマ

'23.12.24~26. スカパー衛星劇場録画



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