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『ふるさと物語』(Home Town Story)['51] | |||||
監督 アーサー・ピアソン | |||||
御目当てのマリリン・モンローが端役での登場は承知の上だったから、元上院議員で返り咲き野心満々のヘラルド新聞社編集長ブレイク・ワッシュバーン(ジェフリー・リン)の秘書アイリスとして、思いのほか登場場面があったことにむしろ驚いたが、まさに端役以外の何者でもなかった。 それにしても、意外な線でのブレイクの改心を描いていて驚いた。返り咲き選挙を狙って、新聞媒体で注目を浴びるべく、ライバル議員の父親マクファーランド(ドナルド・クリスプ)の企業活動の拡大を批判するキャンペーン記事を展開していたものが、不慮の事故によって瀕死の重傷を負った、親子ほどに年の離れた小学三年生の妹ケイティ(メリンダ・プラウマン)を企業力の動員によって救ってもらい、私心に塗れた報道姿勢を反省して上院議員復帰を断念し、野心のためではなく、読者の身近な生活に役立つ報道を心掛ける編集方針に転じることで、ブレイク編集長の元を去ろうとしていた旧知の親友記者スリム(アラン・ヘイル.Jr)や、ブレイクの野心に囚われる姿に失望して七年前に交わしていた婚約を考え直し始めていたジャニス(マージョリー・レイノルズ)の心を取り戻していた。 莫大な利益を上げている企業活動を批判し、その利益は誰の手に渡るのかと報じて読者の関心を集めていた新聞記者が、社会批判的な記事を止めて、生活情報の提供に転換する姿を、私欲を棄てた読者ファーストの報道姿勢として称揚する映画が、'50年代のアメリカにあったとは、本当に驚いた。 だが、考えてみれば、二ヶ月前の松元ヒロのスタンダップコメディの公演で言及されていて興味を覚えた斎藤幸平の『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書)の用意が出来たという連絡を受けて県立図書館から借りてきたばかりで読み始めた最初のほうに、<コモン>すなわち共有財産を「エンクロージャー(囲い込み)」することによって商品化し、市場を形成して資本家を潤す活動が企業活動であり、資本主義に固有の収奪行為だとマルクスが指摘していると述べているくだり(P30~P33)があって、なるほど、本作は反共映画として制作された作品だったのかと、'50年代に吹き荒れたマッカーシズムを想起して、得心がいった。半世紀近く前の受験生時分に世界史の教科書で産業革命に関連して「エンクロージャー(囲い込み)」という言葉を記憶した覚えがあるが、『資本論』からの用語だとはこの歳に至るまで思ってもいなかった。 それはともかく本作は確かに、企業活動に批判的な言質を戒める形で、'50年代にして、工場廃液の垂れ流しはしておらず処理水の放出を行なっているなどという、いかにも企業側の主張に沿った造りになっていたように思う。そして、“売名ジャーナリズム”といったネガティブ・キャンペーンは、既にこの時分からの常套だったことの窺える造りが印象深い。その線から観ると、思いのほか洗練された教化性を湛えていて、露骨な反共映画の様相を呈していないところが、目を惹く。ブレイクを野心的な元上院議員にしてコミュニストとしていないところがミソで、なかなか巧妙だ。わずか61分の小品だったが、実に貴重な作品を観ることができたような気がしている。 参照テクスト:『ゼロからの『資本論』』を読んで | |||||
by ヤマ '23.12.27. DVD観賞 | |||||
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