『秋津温泉』['62]
『智恵子抄』['67]
監督・脚本 吉田喜重
監督 中村登

 先に観た『秋津温泉』は、小夏の映画会を主宰していた故人が僕に見せたい見せたいと言っていた宿題映画を今頃になってようやく片付けたことになるわけだが、彼は本作のどの部分を僕に見せたかったのだろうと思った。また、本作は十七歳から三十四歳までの新子を演じた岡田茉莉子が、百本記念出演作品として、自身が企画し製作にも加わったという思い入れの強い作品でもあったようだが、当時、三十路前だった彼女が、本作のどの部分に強く惹かれたのか少々不思議な気のする話だった。

 花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だなどと井伏鱒二の訳した一節を嘯く河本周作を演じていたのは、心も身体も虚弱な賢しらぶったぐだぐだ男が実に似合っている長門裕之だったが、その身勝手さにかなり苛立ちながら観ていた。この悪びれの無さというのは、昨今の政治家やらTV番組のコメンテーターなどにはよく見かけるが、まったく生半可ではないと恐れ入った。新子は彼の何が好かったのだろう。

 最初に秋津温泉で出会った1945年、日本の敗戦に号泣する彼女の姿に自殺を思いとどまる契機を得たという周作に、新子は運命的な何かを感じたということだろうか。それとも、横浜の女学校にいた身でありながら母親の再婚先である田舎の温泉旅館に身を寄せざるを得なかったことが、インテリ感を漂わせる周作に惹かれることに作用したのだろうか。

 そうだとしても、♪東京ブギウギ♪の流行る1948年まで三年も音沙汰無しで現れ、上手く開けていかない処世を悲嘆して共に死んでくれなどと言い出す男に沿いながら笑い出してしまうほどに生命力に溢れていた新子が、さらに三年後、周作がぬけぬけと貴女に会うのが怖かったなどとほざきながら甘言を洩らしつつ、己が結婚を人伝に告げるのを見ても、些かも想いを変えないだけの深い恋情を彼に向けていることに釈然としないものが残った。

 それから更に四年後、出会って十年を経た1955年に今度は東京行きを告げに現れ、駅のホームまで見送りに来ていつも私が見送ってばかりと零した新子に車窓から今日は僕に送らせてほしいね、行き給えなどと言い出す周作に呆れ果てた。そして、その言葉に従ってホームの階段に向って歩きつつも降るのを止めた新子の姿を見留て、動き出した列車の窓から新子~!などと叫んだ周作の乗る列車を見送る新子を映し出していたカットに頭を抱えてしまった。

 そのことは、そこから七年後となる本作公開時点、新子が旅館を廃業したところにまたぞろ現れた周作と、どうやら初めて一夜を共にしたと思しき場面展開を見せた後、新子が昨夜から何も考えられなくなったわと言い出し、今度は新子の側から周作に一緒に死んでくれと言い出すに及んで、それじゃあ、この十七年間に一度もしないで、湯浴み姿を観られただけだったということなのかと驚愕するに至った。

 十七年後に、今度は周作が号泣する姿を観つつ、新子という女性は、いったい何者だったのだろうと思わずにいられなかった。藤原審爾の原作小説でも二人の関係はそういうものだったのだろうか。周作の側から一人称で語られているらしい原作小説とは違えて新子の側から語られると、まるで様相の異なる物語が展開されそうな気がする。


 次に観た『智恵子抄』は、十八年前に観て以来の再見だ。書棚にある「高村光太郎詩集」<彌生書房>は高校時分に購入したはずだが、何年生の時だったろうと思って確かめてみると、発行日が昭和54年12月25日と既に高校を卒業している年月日になっていて唖然とした。気になっていたあれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。…のタイトルは『樹下の二人』だった。

 高村光太郎(丹波哲郎)と長沼智恵子(岩下志麻)の出会いから別れを描いた映画らしく、彫塑作品を映し出して始まり終える形になっていて、明治四十四年の出会いから昭和十三年の死までの三十年近くを当時、二十代半ばの岩下志麻が演じて、なかなかの演技力を見せつける作品だ。

 今回、合評会の課題作としてカップリングされた『秋津温泉』の岡田茉莉子と同じく、圧倒的に主演女優の存在感がものをいう映画なのだが、両作ともにおいて、若き日の男の人生を左右した女性として現れながら、死に至るまでの「道程」の差が対照的で、新子の哀れが募るように感じた。それとともに亡き田辺氏の偏愛していた私が棄てた女に通じる部分が『秋津温泉』にあることに気づいた。かの作品の吉岡も周作と同じく、健気なまでに奉げられた好意と善意を踏みにじってしまった悔恨に男たちが最後に苛まれる映画だったように思う。

 そして、『秋津温泉』と『智恵子抄』ということでは、新子と智恵子の死に至る道程の差異がそのまま、新子の看病によって死から脱しながらも彼女に頓着しなかった周作と、「パンの會」での些か鼻持ちならない酒浸り生活を智恵子との出会いによって一新させた光太郎との対照によるもののようにも感じられた。

 長沼智恵子が絵と心中したのねと評した画家と思しき青年(寺田農)の存在や、智恵子と光太郎が心中を通わせ合う浴場での桶叩きの元になっていた犬吠の太郎(石立鉄男)の存在が『智恵子抄』では、とても利いていたように思う。いずれも少々突拍子もない感じがする分、却って効果的だったような気がする。とりわけ後者については、桶叩きの響きの変化の絶妙が自ずと二人の交感を想起させ、この形で表現したら、もう濡れ場は出てこないだろうと踏んだところ、後ほど思いがけず登場して、大いに意表を突かれた。だが、BS松竹東急コードに相応しい実に穏当なものだった。思えば『秋津温泉』には、智恵子に衝撃を与える自殺青年や太郎の存在のようなものが欠けていた気がする。

 ところが、合評会では、『秋津温泉』のほうを支持するメンバーが思いのほか多くて驚いた。確かに周作はろくでなしだが、光太郎の献身というか純愛の清廉さがしっくりこないということのようだった。だが、そういう意味では、周作の語る『秋津温泉』にしても、光太郎の語る『智恵子抄』にしても、男の側が観念的に創り上げ結晶させた女性像に他ならない気がする。

 新子の側から描く『秋津温泉』と同様に、智恵子の介護に勤しんでいた姪のふみ子(島かおり)が語り手になれば、その眼に映る高村夫妻の姿は、まるで様相の異なる物語になるような気がしてならない。ある意味、両作とも語り手たる周作と光太郎のナルシズムの漂う“いい気な話”のようにも思えた。




『秋津温泉』
推薦テクスト:「平林 稔 facebook」より
https://www.facebook.com/minoru.hirabayashi.1/posts/pfbid02NS4KKVN8XhAZPKa47 pjH39x5igmWrVeYacwriEnY5G9KS4EqUvGfsSPWjJwW5zNWl
by ヤマ

'22.10. 1. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画
'22.10. 4. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>