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『衝動殺人 息子よ』['79] 『永遠の人』['61] | |||||
監督 木下惠介
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今回の合評会の課題は、木下映画における敵討ちという趣向でセレクトしたという二作品だった。先に観たのは『衝動殺人 息子よ』。犯罪被害に遭った人に対する救済は、犯罪行為の取り締まりや処罰しか視野になかった警察関係の法律や制度におけるエアポケットであり、そのことが社会問題化した時分に大いに話題になった作品だという覚えはありながら、未見のまま過ごしてきた宿題映画の一つが片付いた。 七十年代最後の年の作品だが、発端は、昭和41年5月に京浜工業地帯で起きた“衝動殺人”事件だったという記憶はなかったから、それほど前からのことだったのかと少々驚いた。当時、“通り魔殺人”とは異なる“衝動殺人”という言い方に新味と違和感を覚えた記憶がある。どうやら、原作となったノンフィクションのタイトルから来ているようだ。 ようやく法律案が示されながらも未だ上程もされていないというクレジットが映画の最後に現れる時点が昭和54年6月だったから、十三年越しとなる川瀬周三(若山富三郎)のほぼ孤軍奮闘と思える活動が描かれていたわけだ。その足跡を観ながら、社会的活動や制度的隘路の問題よりも、専ら妻の雪枝(高峰秀子)との夫婦関係の在り様や、息子(田中健)への思いといった情愛劇のほうに重きが置かれているように感じられたのは、木下作品ゆえだろうかとも思った。 犯罪被害給付制度そのものは、本作公開の翌年に犯罪被害者等給付金支給法が制定され、あくる年の1月1日から施行されたことが警察庁による案内リーフレットに記されていた。 犯罪被害者の遺族会を作ろうとしながらも組織化までは果たせず、息子から託された“敵討ち”たる社会活動として、自らの町工場を売却した資金を投じ、ひたすら面会と名簿作成に何年もの歳月を費やして活動を続けていた周三の生き様に心打たれた。モデルになったと思しき人物の名前とは異なる役名にしていたのは、まるで絵に描いたような“孝行息子”として描かれていた武志やその婚約者だった杏子(大竹しのぶ)らの人物造形に、フィクショナルな潤色が施されていたからなのかもしれない。 だから、実際の出来事とか原作ノンフィクションとの比較をしてみても仕方のない作品だとは思いつつ、序盤のほうで武志が言っていた「趣味はハーモニカだとは言えないでしょ」という台詞が、どこから生まれたものか気になった。♪峠の我が家♪が上手く活かされていたとは思うけれども、そこから来たハーモニカとも思えず、つい不謹慎な妄想を膨らませた何年か前のエピソードを思い出したりした。 翌日に観た『永遠の人』は、九年前にスクリーン観賞して以来の再見。当時のメモに「昭和七年の陵辱婚から始まる三十年に渡る因縁の愛憎劇の情念の濃さに唖然。罪と罰と赦しについての神話的象徴性と劇性とを湛えた、夫婦親子の因業めいた葛藤の物語が凄まじく、傷痍兵の地主平兵衛さだ子夫妻を演じた仲代達矢と高峰秀子のとっても濃い演技対決が、なかなかの見物だったように思う。 昭和七年、十九年、二十四年、三十五年、三十六年の5つの章における夫婦関係の変遷のなかで、さだ子が苦しむ側から苦しめる側に替わっていくとこに迫真性があって、詫びと赦しの持つ意味についても感じ入るものがあった。 高峰秀子、やっぱ凄いよなぁ(感心)。」と残してあった作品だ。 戦前の地主と小作の封建的因習と経済格差に縛られた日本の農村社会を舞台に、火の山の地に相応しい情の強い夫婦の業の深さを描いて、神話的象徴性を醸し出し得たことには、掻き鳴らされるフラメンコギターの響き以上に、カスタネットや鐘の響きといった洋風の鳴り物の送り出すリズムと「それがですな、それがですな」といった語りの合いの手の差し挟まれた唄を各章の狭間に置いて伝誦イメージを膨らませていることが奏功している気がした。 それにしても、高校生の長男(田村正和)を「僕がどうして生まれたのか わかりました お父さんは好きです お母さんもかわいそうだと思います…」との遺書を残した自死に追いやり、大学生の次男(戸塚雅哉)に「お母さんがお父さんを許さない限り、僕はお母さんを許しません」と言わせるに至る家庭環境の子どもにとっての過酷さには恐れ入る。敢然と「人には忘れられることと忘れられないことがあります」と言い放ち、穏やかに「見下げ果てた人ですね」「破廉恥な人です、貴男は」と面罵するさだ子のコワさと苦しさが、何とも凄まじく痛ましかった。 そして、積年の悔恨を抱えた二人が最後の最後に互いの本音を激することなく交わして詫び、少し離れて同じ道を同じ方向に向かって歩き始めるラストを迎えるのに、三十年の歳月と初孫の誕生、そして、平兵衛さだ子夫妻に“永遠に楔を打つ人”たる川南隆(佐田啓二)の死が必要だったのかと恐れ入るとともに、その切っ掛けとなった隆の今わの際の詫びの言葉が感慨深かった。 相思相愛だった恋人を平兵衛に略奪された隆は、被害者ではあっても平兵衛に詫びねばならない立場ではないというのが、今の時代の大方の人の感覚だろうが、六十四年あった昭和の時代の半ばとなる時分には、詫びたり謝ることが必ずしも「非を認める」ことを意味するわけではないという感覚が普通にあって、不具合や迷惑をかける状況に自分が関与していることに対して申し訳なさや済まなさを感じる場面において、普通に人々の心のなかに湧いてくるものとしてあったように思う。本作の終章である昭和三十六年当時に三歳だった僕が十代の頃だったか、例えば、交通事故になったときなどに謝ると非を認めることになるから先に謝ったりしてはいけないといったことが処世術として教えられることに強い違和感を覚えた記憶がある。理非と態度を味噌糞ごっちゃにした理不尽がどうして常識として語られるようになったのだろうか。そして今や詫びどころかマウントを取ったり、訴えてやるといった攻勢を見せる態度が、理非よりも有利な術として実利があると思っている人のほうが多くなり、詫び謝る行為というのは自発性に基づくものではなく、要求や要請に応じる行為として形式的に見せるだけのものになってしまっているような気がした。 まさに“赦しと詫び”を主題にしている六十年前の作品を久しぶりに再見してそのようなことを思ったのは、奇しくも『衝動殺人 息子よ』とのカップリングで観たことによるのかもしれない。それにしても、太平洋戦争を挟んだ戦前戦後の昭和七年からの三十年間を一時間五十分に満たない尺で語るのだから、本当に凄いと改めて思った。 合評会では、作品タイトルの“永遠の人”の指すものが誰か話題になった。一義的には、さだ子の胸に宿り続けた隆のことだろうと思ったが、何と言っても高峰秀子だろうとか、ある意味、普遍的な想い患いのことではないかとか、平兵衛、さだ子、隆それぞれの胸の内にあった執心相手だとかの意見を聞いているうちに、我が国の代表的な活火山として今なお燃え盛る阿蘇のごとく憎しみの“火を燃やし続ける烈女さだ子”のことだったような気がしてきた。 奇抜な音楽の取り合わせや阿蘇を舞台にしたところに、パゾリーニの『王女メディア』にカッパドキアの異様な風景が必要だったことに通じるものを感じたという映友女性が、木下惠介にはクィアを感じると言っていたのが面白く、『衝動殺人 息子よ』での“変さ加減の窺える「趣味はハーモニカとは言えないでしょ」という台詞”にまつわるエピソードを紹介したら、大いに喜ばれた。 件の台詞は、県立美術館が木下特集を行った際の上映会日誌にも記したように観る側のことをまるで考慮していないとしか思えない番組編成のおかげで1プログラムしか観られなくて未見のままだった僕に、なぜ言えないのか意味が分からないと同世代の映友女性が問うてきたものだ。そこで、想像で「それは性的隠語としてのハーモニカのことなんじゃないのかな」と答えて、その意味を教えてあげたところ、「尺八というのは私も聞いたことがあるし、なんとなくイメージできるけど、何故それがハーモニカなの?」と重ねて問われ、「上手下手の決め手は舌遣いだからじゃないの?」と返すと、「まぁ、いやらしい、『衝動殺人 息子よ』は、そんな映画じゃないわよ」と𠮟られ、「いや、問うから教えただけなのに」と実に割の合わない目に遭った因縁の台詞なのだ。 今回、初めて映画作品を観たところ、確かに同作においては、そういうニュアンスとは全く縁のない台詞として使われていたが、ギターでもなく、敢えてハーモニカを持ち出してそういう台詞を設えたところに、作り手サイドには、クィアな遊び心が潜んでいたかもしれないという気がしたのだった。『永遠の人』を合わせ観て「それがですな、それがですな」などを聴いたせいかもしれない。もっとも、この“作り手サイドのクィアな遊び心”説に賛同してくれたのは、四人のなかでも、木下惠介にはクィアを感じると言っていた映友女性だけだった。 | |||||
by ヤマ '22. 6.19. DVD観賞 '22. 6.20. DVD観賞 | |||||
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