『地球の静止する日』(The Day The Earth Stood Still)['51]
『ザ・ロック』(The Rock)['96]
監督 ロバート・ワイズ
監督 マイケル・ベイ

 参院選を前にして今の国情を全く顧みず、日本の防衛費を「対GDP比2%」へ倍増させるべきだと真顔で主張する輩が政権与党から続々と現れてきたなか、軍隊とは何かを思わせてくれる旧作ハリウッド映画を続けざまに観た。放映自体は、少し前だったが、あちらこちらで軍拡の声が上がってき始めた情勢を受けての番組編成だという気がしてならない。報道部門とは異なる部署にはマスメディアでもまだかような良識は、残っているようだ。

 先に観た『地球の静止する日』は、七十年前の戦後間もない時期の作品だから、首都ワシントンに着陸した円盤を取り囲むために一斉に出動する軍隊にしても、銃器を構えたまま迂闊な発砲をしてしまう兵士がいることにも、SF作品ながら妙な生々しさがある一方で、だからこそ、そこに謳われている非暴力を訴える理想主義の値打ちに重みがあるように感じた。

 地球人に対してこの理不尽な態度の源を知りたいと考え、カーペンターと名乗って非暴力的に折衝を試みる異星人クラトゥ(マイケル・レニー)の知性的な態度を地球人が全体レベルで身に付けられる日が来るのは、いつのことだろうか。クラトゥには及ばずとも、紳士の化けの皮が剥がれて粗雑で粗暴な敵対意識を露わにする求婚者トム・スティーブンス(ヒュー・マーロウ)に同調せず見限っていたヘレン(パトリシア・ニール)くらいの理性と知性は得ていたいものだと改めて思う。

 地球人が地球のなかで火器くらいで争っているうちは関知しないが、核兵器を使い始めると事情は異なってくると来訪した理由をクラトゥが語っていた時代から、地球は確かに静止したままだと思った。核兵器廃絶どころか、大戦後の反省に立って出来たはずの国連をリードすべき常任理事国が核攻撃を仄めかす脅しをいけしゃあしゃあと放言する時代になっている。そして、それに便乗して軍拡利権を漁ろうとする連中が後を絶たず、また、それを積極的に必要だと賛同する人々による軽薄な雄弁が横行しているのだから、静止よりも後退している気がしてならない。実に実に戦後は遠くなったものだと、1951年作品のSF映画を観て思った。また、戦車がドリフト走行のような運転を軽々と見せていたことに驚いた。


 翌日観た四半世紀前の作品『ザ・ロック』は、四カ月ほど前に観た『アルマゲドン』が意外と面白かったので、録画してあったものだ。唖然とするほど荒っぽい脚本ながら妙にノリのいい映画だったと記した『アルマゲドン』同様に、随分な脚本だとは思ったし、序盤の取って付けたようなカーチェイスシーンへの力の入れようが、派手派手しさで押しまくってスマートさが微塵もなく、何だかごちゃごちゃした感じがそのまま後半のアクションシーンでも繰り返されるあたり、少し倦んだりもしたが、豪華キャストにも支えられ、けっこう面白く観た。

 「そーか、ボスニア紛争の頃だったのか」などと思いながら観つつ、青年将校ではないハメル准将(エド・ハリス)が率いて起こしたクーデターに、少し226事件のことを思ったりした。国防総省であれどこであれ、強大な力を持った組織の上層部というのは、全くろくでもないものだと改めて思う。テロかジャスティスかは後世が決めるというようなことをハメル准将が言っていたように思うけれども、秘密工作活動によって殉職した兵士の扱いというのは、実際のところは、どうなっているのだろう。それにしても、海兵隊の武器の違法売却による裏金づくりを担っている紅海商事のような会社というのは、いかにもありそうだと思った。そして、間違いなく、9.11.以前なればこそ作り得たエンタメ映画だという気がした。

 また、たまたま午前中に県立美術館で観覧してきた“佐藤健寿展 奇界/世界”にて目を惹いた「ロズウェルの宇宙人」という言葉が思い掛けなく出てきて、奇遇を感じた。映画では、ワイルドの言葉だとして愛国心は野蛮な美徳だという引用がされていたが、全くその通りだと思う。国家主義者が愛国心を持ち出す際の本音は、韓国映画シルミド SILMIDOで露わになっていた思い上がりのような気がしてならない人物が沢山いるとしか思えない現況に憤懣やるかたないものがある。

 そうしたら翌々日、2019年度マイベストテンの日本映画第1位作品に選出した沖縄スパイ戦史['18](監督 三上智恵&大矢英代)を三年ぶりに再見する機会を得た。やはり凄い映画だったなと改めて思った。
by ヤマ

'22. 6.24. BSプレミアム録画
'22. 6.25. BSプレミアム録画



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