『真夜中乙女戦争』
監督・脚本 二宮健

 若者指定映画のような気がした。還暦を過ぎた身には、むしろ失笑を誘われるようなところが多々ありながらも、若い時に観れば、理屈抜きに響いてくる層が少なからずいるのではないかと思わせるものを確かに孕んでいるように感じた。

 何と言うか、今の社会へのではなく「今」への怒りのようなものが宿っている気がした。僕らの時代における十九歳の地図(柳町光男監督)や『青春の殺人者』(長谷川和彦監督)のような作品として映る若者がいそうに思った。

 “先輩”を演じた池田エライザの歌う♪Mistyは、過日、BSプレミアム録画で観た“the Covers「ELAIZA ~時代に刻まれる名作~」”での歌唱よりも魅力的だった気がする。

 大学に入学したばかりの“私”(永瀬廉)が、既に就職内定を貰っている“先輩”にずっと敬語を使っている姿に、大学時代は、確かにそうだったと懐かしさを覚えた。本作の“先輩”と“私”のように接近したわけではないから尚のこと当然なのだが、地方都市から東京に進学して入ったばかりの文芸サークルにいた上級生のなかでめっぽう大人っぽい雰囲気を漂わせていた女性がいたことを思い出した。本作の“私”のような面接を受けたわけではないけれども、合評会のときに意見を求められて、ひどく緊張した記憶がある。

 だが、そういうノスタルジックな懐かしさが湧いたりすると、「今」への怒りのようなものを描いた作品が真っ当に響いてくるはずもなく、いささか醒めた疎外感とともに観たような気がする。本作と同様に、年上女性との今どき青春ラブストーリーを名前のない“彼女”と“僕”で描いていた明け方の若者たち以上にそのことを強く感じたのは、この「今」への怒りのようなものの有無によるのかもしれない。

 それにしても、標識文字に「高田馬場」と映った界隈はまだしも、ロケ地となった大学キャンパスの様変わりした風情に驚いた。建替後の本学を母校に訪ねたのは三年前だが、文学部のほうには行かなかったので、本学でなければあり得るのかもしれないが、なんだか別の大学のように感じる雰囲気だった。
by ヤマ

'22. 2. 5. TOHOシネマズ8



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