『ガンジー』(Gandhi)['82]
監督 リチャード・アッテンボロー

 大学卒業後に郷里で就職して間もない公開時に観て、非常に強い感銘を受けた作品を四十年ぶりに再見した。地元で就職することにしたときに学友たちのみならず様々な人々から驚かれ、なかには過分な惜しみ方をしてくれる人たちがいたなか、郷里に戻ってみると、東京で暮らしていた頃に当たり前に得ていた刺激がこれほどなくなるのかと拍子抜けするうちに、流れのままに早々と家庭を持ち、長男も生まれていた頃のことだ。

 どういうふうに生きていくのがいいのか、何を為すべきなのか、といったことをぼんやりと考えたりしていたときに、ある種の啓示を与えてくれた作品だったのだが、それは本作でも紹介されるアインシュタインの言葉後世の人はまず信じないだろう、このような人物がこの世に存在したことを…に相応しい、祈りと断食と行進で何億もの国民を動かし政治を変えたマハトマ(偉大なる魂)の業績からではなく、彼がマハトマと呼ばれるようになる遥か前のモハンダス・ガンジー(ベン・キングズレー)弁護士だった時分の姿からだった。

 かのアインシュタイン博士に空前絶後の人物だと言わしめたガンジーでさえも、最初は身を以て味わった問題から立ち上がり、ある種、行き掛りのなかで次第にマハトマになっていったのであって、自らの意思によって何かを成し遂げていったわけではないということだった。

 思えば、高校の卒業アルバムにクラスの記念辞として、上杉鷹山の名言として知られる為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけりをもじって成れば成る 成らねば成らぬ 何事も 成るも成らぬも 事の成行き ~自然流~などと記して担任の顰蹙を買ったこともある僕なれば、モハンダス・ガンジーがそうだったように、行き掛りのなかで自分の信じる是を頑固なまでに発現させて、後は成り行きに任せるだけのことだと、言わば「下手な考え休むに似たり」の心境にストンと落ち着いたように感じた覚えが鮮明に残っている。

 ちょうど今から七十四年前となる1948年1月30日のガンジー暗殺とその後の国葬の場面から始まり、一気に五十五年遡る1893年の南アフリカでの弁護士時代におけるイスラム教徒インド人の資産家アガ・カーンとの出会いが描かれる。南アフリカで自分も受けた有色人種差別問題に対する抗議活動をガンジーが主導した際に、それを金銭的に支えたのが彼であり、ガンジーの想いに反してあまり賛同者を集められなかったなか、「身分証を焼くことから始めよう」と扇動したガンジーに対して「最初に焼いた者を逮捕する」と機先を制した警察に向って先鞭を切ったのは、ガンジーではなくカーンだった。また、後にガンジーの抵抗戦術の大きな柱となる“群衆による行進”の原点も南アフリカだったが、このとき騎馬隊によって蹴散らそうとしてきた警官隊に対して「馬は人を踏みつけたりしない、伏せるんだ!」と号令を掛けて離散を食い止め、騎馬隊の足を止めさせたのもガンジーではなかった。人を踏みつけるのは人のみであることを直ちに想起させる秀逸の場面だったように思う。

 だが、ヒンドゥ教徒でありながら、イスラム者とも肝胆相照らし、インドから訪ねてきたキリスト者のチャーリー・アンドリュース牧師(イアン・チャールソン)に右の頬を打たれたら左の頬を差し出せというのは、勇気のことを言ってるのだと思うと語っていた“勇気”を以て、1915年の帰国後も徹底した非暴力・不服従による抵抗運動を貫いていたガンジーの「消極的抵抗ではない」との言葉の重さが、果して今の時代にも理解され得るのか心許ない気がする。領主国イギリスによる不当立法への対抗手段として、もはや武力闘争もやむを得ないとするジンナーらのイスラム勢力に対し、テロは弾圧を正当化すると抗していた国民会議派のネルー(ロシャン・セス)が、その法施行日を“祈りと断食の日”とするよう呼び掛けてゼネスト効果の発揮による対抗を果たそうとするガンジーの運動方針を支持した際に、尊称としてマハトマと呼び掛ける形で登場したように思うが、巧みな使い方だと感心した。対照的に、イギリスによるインド統治を決定的に窮地に陥れたものとして、ダイヤ―将軍の指揮した住民大虐殺を対置していたことが効いていた。

 また、南アフリカでのアーシュラム共同農園では、輪番制のトイレ掃除の当番を嫌がっていた妻が、老いてはガンジーに代わって演説に立つ意思を見せてガンジー排除を制する姿に何ら違和感のない女性になっていたが、最も身近なところで薫陶を受ければ、それも道理だろうと思わせるに足るガンジー像を体現していたベン・キングズレーが、やはり見事という外ない名演だった。そして、貧困は最大の暴力だとのガンジーの言葉とともに、彼が深く心を痛めていたインドとパキスタンの確執の激しさが、改めて印象深く残っている。スケール感といい、コンセプトといい、実に大した映画だった。




【追記】'23.12.20.
 NHKプラスで、映像の世紀バタフライエフェクト塩の行進 ガンジーの志を継ぐ者たち」を視聴。 https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/164L8V2MY4/
 若い時分に映画『ガンジー』['82]を観て、強い感銘と影響を受けたマハトマに関連して、バタフライエフェクトとして誰が出て来るのか興味深かったのだが、アヴァンタイトルではボブ・ディランだった。
 終着駅 トルストイ最後の旅にその晩年が描かれていたレフ・トルストイとの文通で示唆を受けたガンジーが、言葉だけではない実践によって示した非暴力不服従を継いだ人々が登場していた。剣によって戦う者は剣によって滅ぶとの言葉を残していたマーティン・ルーサー・キング牧師にしても、身の危険を知りながらフィリピンに帰国したベニグノ・アキノ元上院議員にしても、思えば、ガンジーと同じく暗殺されてしまった勇者であった。ミャンマーの アウン・サン・スー・チー氏は、齢八十を前にして、自宅軟禁から収監へと至っている。番組には登場しなかったが、ネルソン・マンデラもガンジーに倣ったと言っていたような気がする。
by ヤマ

'22. 2. 4. BSプレミアム録画



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