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『バターフィールド8』(John O'Hara's Butterfield 8)['60] 『バス停留所』(Bus Stop)['56] | |||||
監督 ダニエル・マン 監督 ジョシュア・ローガン | |||||
月例の映友たちとの合評会の今回の課題作は、下着姿に近いステージ衣装による酒場の唄歌いと、モデルが本業という建前の娼婦という、程度の差こそあれ共に風俗嬢というべき役どころをマリリン・モンローとエリザベス・テイラーが演じた二作のカップリングだった。いつもは製作年次に従って観るのだけれども、マリリンの『バス停留所』['56]は、半年足らず前に再見したばかりだったので、今回が初見となる『バターフィールド8』のほうから観た。 酒場の唄歌いシェリーを演じて“色香と純真の類稀なる混交”を見事に体現していた当時三十歳のマリリン・モンローに対し、こちらのリズは、当時二十八歳の頃。いつになく頬の黒子を目立たせ、ベッドで寝ている場面から起き出て下着のままのグラマラスな姿を延々と見せるオープニングに、強くマリリン・モンローを意識した演出を感じ、ナイスカップリングだと選者である高校時分の映画部長に感心した。 シェリーが“色香と純真の類稀なる混交”なら、こちらのグロリア・ワンダラスは、“見掛けの美しさではなく自尊心から来る美しさ”に憧れ、求めながらも、非業の死を遂げる、性に翻弄された哀れな女性だった。 数々の男たちを手玉に取って来た娼婦稼業ながら誇り高い複雑な性格を持った女性を、リズ自身はかなりの熱演によって造形していたように感じるが、如何せん、気のきいた言い回しに執心して変に気取った台詞が多すぎて妙に癇に障った。グロリア以上に、相手役である富豪の娘婿ウェストン・アンズベリー・リゲット(ローレンス・ハーヴェイ)の台詞がひどいものだったように思うが、原作のせいなのか、脚本のせいなのか不明ながら、どうも原作のジョン・オハラのような気がしてならなかった。 幼馴染のスティーブ(エディ・フィッシャー)に言った「女は犠牲を強いられると、その分、男を愛するのよ」というのは、グロリアの弁だったけれども、原作者にそういう女性観があればこそと思えるようなリゲットの妻エミリー(ダイナ・メリル)の造形が印象深い。ある意味、エミリーがもっと気丈に出られれば、ウェスもあれほどに情けなく惨めな自己嫌悪に苛まれたりはしなかったのではないかという気がした。 そういう意味では、ウェスとグロリアは似た者同士で、運命の巡り合わせによって、自尊心が傷つき、その本来持てる資質を損なった生き方をしていた気がする。だからこそ惹かれ合ったのだろうが、グロリアが見越していたように、最後には互いに傷つけ合うことに至ったのだろうと思わぬでもない。 物語の運びがぎくしゃくしているうえに、最後に何らのカタルシスもなく、作品的には『バス停留所』に比べるべくもない気がしたが、エリザベス・テイラーの男漁りに身をやつす美哀女ぶりは、なかなかのものだったように思う。そして、彼女の事故死が流石に堪えたか、奢りを捨てる出直しの旅によってグロリアの求めていた“自尊心”をきちんと身に付けたいと家を出る決意をしたウェスの姿に『ハスラー』のエディ(ポール・ニューマン)を想起した。グロリアは、サラ(パイパー・ローリー)と違って自らの意思で死を選んだわけではないが、その命と引き換えにして愛した男に再生への目覚めを与えたような気がしたからだ。 翌日観た『バス停留所』は、『バターフィールド8』を観た後だと、運びの上手さや脇役の活かし方が一層際立つ気がした。そして、シェリーの“十二歳の時からの男遍歴”に対して、グロリアは、寡婦となっていた母親が再婚を考えてもいたというハートリー少佐によって十三歳の時に経験させられてからの男遍歴と言っていたから、本当に『バス停留所』を意識していたのかもしれないと思った。そして、シェリーを勝手に“チェリー”と変えて呼び“ベイビー”扱いしていたボーの姿に、グロリアがウェスに告げていた「“ハニー”呼ばわり(音声では“ベイブ”と列挙されていたように思う。)をやめてくれてうれしかったわ」との台詞を思い起こした。 作品的には、前回の観賞から半年しか経っていないので、思うところに殆ど変わりはないけれども、やはりマリリン・モンローは素敵だと改めて思った。お話し的には、『バターフィールド8』のほうを買うのだが、映画としての作りがあまりに粗雑で、リズの大熱演もあって折角の作品だっただけに、余計に何とも勿体ない気がして、不満が募った。 合評会では『バターフィールド8』の序盤で娼婦稼業のグロリアがウェスから代金の250ドルを置手紙とともに残されたことに何故にあれほど怒ったのかと問われ、後のウェスからの電話で会った際に「取引をしたい。何が欲しい」と問われたので、「自尊心」と答えていたのがキーワードだと思うと応えた。鏡にルージュで「売り物じゃない!(No Sale)」と書きつけていた場面から奇しくも『ハスラー』でのサラによるルージュの伝言を想起させられ、代金の多寡ではなくて、その扱いと尊重の問題だったのだろうという気がしたと添えると、大いに賛同を得た。 『バス停留所』については、マリリン・モンローは好いのだけれど、ドン・マレーの演じたボーが何とも鬱陶しかったとの意見が大勢を占めた。名前すらきちんと呼ばないボーの身勝手な幼稚さには、確かに僕も少々辟易としたが、それにもかかわらずシェリーが彼に心を寄せたのは、半年前の映画日誌に「酒場で酔客たちに「きちんと歌を聴け!」と迫るような形で自分を尊重してくれる男や「真面目なキスってのはおっかねぇな」と漏らすような真摯さの籠ったキスをしてくる男は、男遍歴を重ねてきたシェリーにおいても、“初めての男”だったということなのだろう」と綴ったように、ボーが一点「彼女の自尊心を汲んだ男」だったことにあり、その他には取り柄のほうが乏しいことを強調することによって、シェリーにとってもグロリア同様に“自尊心”がいかに得難く掛け替えのないものであるかを表していたのだと思うと述べて賛意を得た。 そういう点でもまた『バターフィールド8』は、『バス停留所』を意識して撮られた作品のような気がしたのだが、両作とも人気女優が演技派への脱皮を試みていたなかでの記念碑的な作品だと聞き及び、尚更にその意を強くした。 全く以て絶妙のカップリングだったと選者の映友を褒めたところ、両作とも未見のまま課題作としたので、そこまでの意図はなかったとのことだったが、観てみてカップリングテーマを「毛皮のコートの明暗」としていたところに、合評会での話を受けて「女の自尊心」を中ボツ入りで加えることにしたと言っていた。なるほど、エミリーの毛皮のコートを盗んだばっかりに死に至る逃避を余儀なくされることになったグロリアと、「ボーが着せてくれた毛皮のジャンパーコートに首を竦めて包まれたときのようやく温かさを手に入れた嬉しさを笑みにした」シェリーの対照もまた、確かに利いていたなと感心した。 そして、唯一の女性メンバーである映友の指摘していた「ハリウッド二大女優の作品ですが、この二作、当たり前のことですが、ハリウッド臭がプンプンで私にはあまり響かなかったです。おっぱいとお尻を強調した衣装に身を包んだ肉感的な女優も苦手。美しいけど薄幸な女性設定も苦手。女が体を売る仕事を貶めているのもヤだな…。恋愛や結婚が女性の幸せと言わんばかりの人間ドラマも見ていて違和感あり。今から60~70年前のモラルなんだなぁと隔世の感です。マリリンが後年、女性蔑視のハリウッドと闘って敗れたことが思い出されます。ハリウッド映画界は今でも万能で、私も楽しませてもらっていますが、やはりハリウッド嗜好に対抗するような作品が好きだなと思いました。」との指摘が興味深かった。今回の課題作を観て読み返してみたとのグロリア・スタイネムによる'87年発行の『マリリン』<草思社>は、僕の書棚にもある本だが、彼女は改めて読み直して、マリリンの人生に感嘆し、涙したとのこと。生きていたらフェミニズムの社会的政治的活動に肩入れする「発言する女優」の先駆けになったのではないかと思ったそうだ。 参照テクスト:中川右介 著 『大女優物語 オードリー、マリリン、リズ』読書感想 *『バス停留所』 推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/4750660368366842/ | |||||
by ヤマ '22. 7.11,12. DVD観賞 | |||||
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