『花嫁の父』(Father Of The Bride)['50]
『花嫁のパパ』(Father of the Bride)['91]
監督 ヴィンセント・ミネリ
監督 チャールズ・シャイア

 二十八歳時分のエリザベス・テイラーをバターフィールド8で観た際に映友から「オードリー、モンローと比べるとリズは見られてないね」と言われて「愛らしさイメージ、ないからなぁ」と応えると「初期は可愛さ、美人さで売ってたのにね」と言われ、矢庭に観てみたくなり、十八歳時分のリズが二十歳の娘ケイことキャサリン・バンクスを演じる未見作を観た。ちょうど半年前に観たラスト・ショー['71]でも引用されていた著名作だが、本作を観る限りでは、十代で演じたケイよりも十年後に演じたグロリアのほうが遥かに魅力的だった。

 いかにもお嬢さん育ちの無邪気な身勝手さが似合っていたが、そこに愛らしさはなく美人のほうが勝っていたし、美人ということでは小娘のケイよりも、ケイより二歳若い十八歳で弁護士スタンリーと結婚したという母親エリーを演じたジョーン・ベネットのほうが魅力的だったように思う。

 父親からすれば突如降って湧いたような結婚話を三ヶ月前に娘から聞かされて以降、すっかり振り回され続けた顛末について、結婚披露宴を済ませて脱力したように腰を下ろした父親(スペンサー・トレイシー)が回想する物語に描かれていた、'50年当時のアメリカのブライダル事情を観ながら、いわゆる“古き良き時代のアメリカ”のプチブルジョアにおける贅沢な難儀を当時の庶民たちは、どのように観たのだろうという思いが湧いた。僕自身が“花嫁の父”を経験していて、思い当たるところが多々ありながらも、コメディタッチで綴られているのに、面白さを感じるより馬鹿々々しさのほうが先に立ってくるようなところがあって、あまり共感を覚えなかったからだ。最後にスタンリーが呟いていた息子は妻をめとるまでだが、娘は生涯、娘のままだというのは、母親にとっての言葉だと思っていたので、少々意表を突かれた。

 また、後に高度成長期を経て、バブル経済にも浮かれた頃の日本のブライダル業界の端緒を観るような思いが湧くと同時に、結婚披露宴ではなく亡父の通夜と告別式だったが、母の意思により自宅にて構えた三十年前の難儀を思い出し、今やそういう通夜や告別式はすっかりなくなっていることに思い当たった。そして、四十年後のリメイク作品では、そのあたりのブライダル事情の変化をどのように映し出しているか、観るのが楽しみになった、今からだと三十年前になるリメイク作『花嫁のパパ』を観た。

 すると、バンクス家で顰蹙を買っていた結婚祝いのミロのヴィーナス像時計の登場までも含めてオリジナル作品をほぼ忠実になぞり、ブライダル事情そのものには何らの違いも加えられていなかったことに驚いた。三十年前だとそれでいけたのかと思うとともに、今でも普通に自宅での披露宴パーティを開いているのだろうかと思った。ただし、リメイク作では、元作で叔母の贈った裸像時計が誰からの贈り物かも気に留められない形でさりげなく映し出されていたし、弁護士だったスタンリー・バンクスが運動靴メーカーの経営者ジョージ・スタンリー・バンクス(スティーヴ・マーティン)に変わり、二十歳で結婚宣言をしていた娘の歳が二十二歳、その母親の結婚年齢が十八歳から二十一歳に引き上げられ、娘の射止めた資産家の息子の職業がフリーランスの情報通信コンサルタントに変わっていた。三ヶ月前の降って湧いた話が六ヶ月前になり、元作で確か400ドルだったウェディングケーキも1200ドルになっていたように思うが、大筋は全く同じ物語だった。

 元作で娘が幼い頃、父親たる私は神であり、絶対的な存在だったと最初に漏らす父親の懐古的な言葉は、外は冷えるから上着をという全く同じ助言を娘のアニー(キンバリー・ウィリアムズ)に掛けても大丈夫と返されたものが、婚約者のブライアン・マッケンジー(ジョージ・ニューバーン)が言うと嬉しそうに従う姿に私の時代は終わったと漏らす言葉に変わっていたが、趣旨的には同じでも、格段に洗練されているような気がした。元作でのキャンプ場への新婚旅行プランに対する憤慨より、リメイク作でのキッチン家電(ミキサー)のプレゼントに対する憤慨と和解のほうが遥かに気が利いているし、何よりマイ・ガール♪をバックに父娘でバスケットボールに興じる場面が元バスケ部の僕としては沁みてきた。

 花嫁の母となることへの、妻の“娘以上のはしゃぎぶり”を描きつつ、ドレスアップした妻ニーナ(ダイアン・キートン)にこれじゃ、花嫁がかわいそうだと微笑む夫の台詞は同じでも、元作に覚えた興醒め感が湧くことなく、微笑ましく観ることができたのは、やはり潤色の巧みさだったのだろう。カネ勘定ネタがやたら強調されることなく程よく抑えられ、婚約者の実家を訪ねて気後れした“花嫁の父”の失敗ネタを酒絡みにせず、また娘と婚約者の諍いの仲裁ネタに繋げる処理にしても、娘の結婚式にはしゃぐ妻と憂鬱になる夫のギャップを過剰に描き出さなかったことにしても、変にコメディ色を押し出していた元作より味わい深いリメイク作になっていた気がする。キンバリー・ウィリアムズとエリザベス・テイラーのキャラクターの差異もあるように思うけれど、アニーに“いかにもお嬢さん育ちの無邪気な身勝手さ”が微塵も感じられない点も好もしかった。

 そして、最後の「息子は妻をめとるまでだが、娘は生涯、娘のままだ」という台詞は、当然のように割愛され、ジョージとアニーがいい感じで今宵の君は(The Way You Look Tonight♪で踊る姿で終える点は曲は違えど元作と同じでも、リメイク作は明らかに“コメディ仕立てにはしない『花嫁の父』”を目指した作品であり、その成功は、監督を担ったチャールズ・シャイア以上に、脚本にも参画した製作者のナンシー・メイヤーズによるような気がした。
by ヤマ

'22. 7.13,15. BSプレミアム録画



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