『汚名』(Notorious)['46]
『泥棒成金』(To Catch A Thief)['54]
監督 アルフレッド・ヒッチコック

 二日前にいそしぎで三十路のリズを観たら、三十路に入ったバーグマンを観たくなって、七十六年前の作品を三十九年ぶりに再見したものだ。クレオパトラ['63]のときのエリザベス・テイラーと同い歳の時分の作品で、かのカサブランカ['42]から四年を過ぎて、酒浸りにも不倫にも走った黒歴史に負い目を抱えるアリシアを演じていたが、最強の涙目は健在で、デブリン(ケイリー・グラント)を最低ねと詰った呟きに、全く以てデブリンは最低だとすっかり同調させられた。

 米国諜報局の上司がアリシアを“あの手の女”呼ばわりしたときには役にも立たない腹いせ的抗弁をしてはいたものの、米国諜報員として微妙な立ち位置にあるなかでの彼の保身的スタンスが気に入らず、むかし観たときはもっといい作品だったような気がしたのに、と妙に気に障った。相手の気持ちを試すような当てつけの応酬を重ねると事態が悪化するのは、不変の真理のはずなのだが、多くの人が愚かしくも繰り返してしまうことでもある。

 哀し気にマタハリの真似をさせるの?と問うたアリシアに君の選択次第だと突き放し、止めてはくれなかったことへの当てつけに、諜報局の標的セバスチャン(クロード・レインズ)への工作を引き受け、任務として受けた篭絡をやすやすと果たしたことをデブリンに告げたときのプレイメイトになったという言い方に、何やら強い屈託を感じるとともに、それに対して仕事が早いねという返し方をするデブリンの苦々しい顔を見て繰り出された言葉が、上述の最低ねという詰りと涙だった気がする。

 愚かな当てつけは、デブリンとアリシアの双方に言えることだったが、瀕死の状況にまで追い込まれる事態に至ったアリシアの窮地に比して、スペインへ逃げ出し掛けていたデブリンでは、全く釣り合いが取れない。しかも諜報員としては素人にすぎなかったアリシアに彼が指示した諜報作戦としての“ワインセラーの鍵の盗み出し”の御粗末さは、早々に露見してしまうこと必至であったうえに、ボトルを落下させて割ってしまう粗忽ぶりを発揮したのも、ワインセラー侵入容疑を逸らすために夫となったセバスチャンに抱き合ったキスを見せつけて、殊更にアリシアにリスクを取らせたのも、デブリンのほうだった。たとえ最後に救出に乗り出したにしても、そのようなろくでなしデブリンを素直になれなかったと後悔しているとの反省とようやく発した愛しているとの決め台詞で免罪する気にはなれず、妙な蟠りが残った。

 ただ、酔っぱらって暴走運転をする乱れた面を覗かせたり、捨て身の熱情でデブリンを挑発する熟したバーグマンの美しさには比類なきものがあったように思う。嘗て観たときは、喜びに輝く瞳とキスでデブリンにまとわりついていたときと、当てつけの当てが外れてからの哀し気な眼差しの落差の大きさに、ひたすら心奪われたのだろう。

 この時のバーグマンと同じ年頃のモンローのバス停留所「'56」は、「我が“女優銘撰”」にも挙げている作品だけに、矢庭に再見してみたくなったのだが、カネならぬソフトの手元不如意で、代わりに同じヒッチコック監督作品で、ケイリー・グラントの相手がグレース・ケリーに替わる八年後の作品『泥棒成金』を翌日、十年ぶりに再見した。

 映画日誌にはしていないが、前回観た際のメモになんとも美しい映画だった。御年25歳のグレースはもちろんのこと、景色、家屋、衣装、画面の色構成、いやもう全てが泥棒たちの狙う宝石のように美しい。
 予め1時間46分の作品だと知っていたから、これで一体どうやって始末をつけるのだろうと、幸いにして犯人の見当が全くついてなくて、一緒に観ていた妻に「まさかグレース・ケリーじゃないだろうし、この時代の映画で、警察ってこともなかろうし…」などと零していたから、お~、そう来るかぁと感心してしまった。それだけに、ベルタニってのには、何か取って付けた感じが残ったな。
 それにしても、あの花火の派手な連発はどうだ! いくらグレースが相手でも、ケーリー・グラント、年だし、あんなに何発も連射できるわけないじゃないか(笑)。
と残していた作品だ。

 奇しくも『汚名』のバーグマン同様に、グレース演じるフランシーの暴走運転にケーリー・グラントが晒される場面が登場するが、アリシア(イングリッド・バーグマン)のような飲酒運転ではなかったように、本作のフランシーにはアリシアのような酩酊も哀切もなく、いささか薄味だった。もっとも、せいぜいで胸と脚のどっちがいいと言ってドキリとさせつつチキンの話だったりする程度で、水着になっても胸元さえ覗かせないグレースには似合いの加減なのだろう。ただ自身を宝石に喩えて男を誘惑するに足るだけの美女ぶりという点では、バーグマン以上の宝石的硬質感があったように思うけれども、グレースを「我が“女優銘撰”」に挙げたくなったことはない。

 フランシーは、バーンズ(ケーリー・グラント)が自分よりも母親のスティーヴンス夫人(ジェシー・ロイス・ランディス)ばかり見つめていることから、彼の正体が宝石泥棒猫ジョン・ロビーだと察したと言っていたが、人物像からすると、石油で当てた成金お嬢さんらしい自信に満ちたフランシーよりも、スティーヴンス夫人のほうが、宝石で身を飾ることを趣味としながらも、その人柄においては、遥かに魅力的だったような気がする。何らの虚飾を装うことなく、節度を以て率直な物言いをするばかりか、ジョンは詐欺師だった亡夫などよりもずっと器の大きい男だと、その立ち居振る舞いから忽ち観て取り評する大物感を備えていたうえに、保険なんてと宝石本来の装身具としての使用を封じて金銭的価値しか認めない本末転倒を小馬鹿にしていた鷹揚さが小気味よかった。
by ヤマ

'22. 2.10,11. BSプレミアム録画



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