『いそしぎ』(The Sandpiper)['65]
監督 ヴィンセント・ミネリ

 過日観たばかりのハウス・オブ・グッチでパトリツィア(レディ・ガガ)がマウリツィオ・グッチから「エリザベス・テイラー!」と言われている場面を観て、宿題を片付ける後押しをされて観てみたら、思いのほか観応えがあって驚いた。

 常識の埒外に生きる“破格の女性画家”ローラ(エリザベス・テイラー)に魅せられた、良識の枠内で生きる“世俗に塗れた司祭”エドワード(リチャード・バートン)が、神よ、徳のかけらでいい、思い出させてくださいなどと言いながら、ローラという試練の前にあえなく転げ落ちてしまう物語なのだが、“自由と規範”という問題について含蓄のある対話が交わされていて、大いに感心した。自由を志向して生きる者にはより高次のセルフコントロールが必要だし、良識を標榜する者には原義を見失わぬ立ち返りが必要だとの思いが湧き、なかなかのものではないかと脚本を確かめたら、ダルトン・トランボの名があって得心した。

 タイトルは『いそしぎ』なのに、なにゆえ鹿?と思ったオープニングに流れる主題曲♪The Shadow of Your Smileは、映画は未見の僕でも耳に馴染んだ名曲だ。原曲はやはりトランペットだったんだなと改めて思った。

 際立つチャーミングさで十二歳のときから男に狙われ続け、男性不信になっているというシングル・マザーのローラの九歳の息子は、十七歳の時の子供だということだったから、クレオパトラ['63]の二年後で三十路になって少し経つリズの演じた役どころは、二十六、七歳ということになるが、その境遇からも年齢以上に大人びていて不思議はなく、ある種の貫録を感じさせていたことに違和感がなかった。カンタベリー物語を中世英語で読み、息子ダニーに歴史を教授するだけの知識をどこで習得したのかは、美術学校に通っただけでは了解し難い面もあるけれど、数々の己が肥やしにしてきた男たちによるものなのだろう。その選択も含めて、彼女には天性の審美眼があって画家の道を得ているということなのかもしれない。

 寄付金集めに奔走し10万ドル掛けて礼拝堂を建て直そうとしていたエドに向って人間が大事なら人間に使うべきだと正鵠を射るローラは、八百長の結婚ゲームよりも自分を知り、自分でありたいという生き方を求め、子持ちの自分を囲い、美術学校に行かせてくれたパトロンの元を飛び立った、まさに“翼を傷めたいそしぎ”だったわけだが、エドから自分にも信念にも誠実と評されるだけの人物造形が施されていて魅力的だった。呆気なく妻クレア(エヴァ・マリー・セイント)に告白してしまうエドの御粗末さを咎めたローラの弁がなかなか奮っていて感心した。男女の仲というのは当事者間だけのもので、弁護士と依頼人でも司祭と告解者でも決して他者に話したりしないように、口外するのは倫に外れていると責めていた。

 そんなローラが作家仲間からエドへの想いを問われて返す言葉にも窺えた自分にも信念にも誠実な感じがなかなか好もしかった。また、クレアが夫の変貌に対し、単に色香に惑わされたということではなく、二十一年間に自分たち夫婦が失っていた嘗てのピュアさを夫に蘇らせていることに対して、より強い敗北感を抱いていることが窺えて、ちょっと感心した。ローラは自由なら自分の生を生きることができると言っていたが、独り旅立って行ったエドワードのその後には、なかなか辛いものがありそうだと思った。

 だが、なかには「妻と再び歩むのかな?司祭は。」とコメントしている映友がいて、いささか驚いた。全く思い掛けなかったが、理性的なクレアだったから、それもあるのかもしれない気がした。エドにしてみれば、ローラの♪微笑みの面影♪だけでは生きていけないとしたものだ。それにしても、優しい観方だと感心した。まさにローラがエドに惚れた“テンダネス”だと思ったりした。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/2116899491742956
by ヤマ

'22. 2. 8. DVD観賞



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