『クレオパトラ』(Cleopatra)['63]
監督 ジョゼフ・L・マンキウィッツ

 子ども時分にテレビ視聴して以来の再見だけれども、少なからぬ量の映画を観て来た今になって観ると、改めてその壮麗なるスペクタクルに、ほとほと感心してしまった。こういう映画こそ、大画面でのスクリーン観賞をしたいものだと強く思った。だが、四時間を超える作品だけに、その機会はなかなか得られないに違いない。

 アントニウス(リチャード・バートン)が「ローマ建国以来の大事件」と言ったクレオパトラ(エリザベス・テイラー)のローマ入城のデモンストレーションの壮大さ、アレキサンドリアの宮殿、ローマの建造物や軍艦の見事さには、今では再現不能に思えるものがあって、まさしく圧倒された。

 ドラマ的にも、弟とその取り巻きによって王位を追われ復権の野心に燃え、大国ローマの権力者の後ろ盾を得つつも、“誇り高き女王としてのアイデンティティ”と“豊穣なるナイルを己が性に冠する溢れんばかりの女性性”に、自分自身が翻弄されるクレオパトラをエリザベス・テイラーがよく体現していたように思う。五十路を迎えているシーザー(レックス・ハリソン)を虜にする溌溂とした若さを放射していた二十代のときから、三頭政治の一角を担うようになったアントニウスを従えるアラフォー年増の妖艶を的確に演じ分けていたことに、大いに感心した。その美貌もさることながら、濡れ場も演じないままに肢体で魅了する妖婦ぶりが見事で、僕が子どもの時分に小野小町・楊貴妃とともに世界三大美人と言われていた女王を演じて、いささかも遜色ないように思われたことに畏れ入った。オクタヴィアヌス(ロディ・マクドウォール)に丸め込まれて彼の姉オクタビアの再婚相手になったアントニウスの結婚の知らせに怒り、屈辱に震えていたときの凄艶なまでの美貌が最も印象深い。

 クレオパトラとの間に男児カエサリオンを得たことで、彼女から野心に火を点けられ、終身ディクテイター(独裁官)に飽き足らず、キング&エンペラーの地位を求めるようになったシーザーが、最も自戒し警戒していたはずの「信頼」に足元を掬われて、ブルータス(ケネス・ヘイグ)らから「ローマに王は要らない」と暗殺されていたように、クレオパトラが「愛に仕え愛を生きがいにしたら身を滅ぼす」と警戒していたはずの愛に足元を掬われ、アントニウスへの向い方を変貌させていたことが印象深く、それにもかかわらず、アクティウムの海戦でアントニウスに与えてしまったダメージを機に彼に対する真情への目覚めを得ている姿が感慨深かった。シーザーとの関係においても、アントニウスとの関係においても、女王であるときと女性であるときの処し方の使い分けをしている不自由さが心に残った。

 シーザーが、ハンニバルやアレクサンダー大王と同じく、癲癇持ちであったとしているところに感心し、アントニウスの浅慮な素朴さ、オクタヴィアヌスの怜悧な抜け目なさといった人物像が、自分の予め抱いていたイメージとほとんど違いがなかったことについて、僕が持っている彼らへの印象は、幼い頃に観た本作が与えていたものなのかもしれないと思った。シーザーには「統治も恋も戦闘もかなわない」とクレオパトラにぼやいていたアントニウスだったが、最後に、クレオパトラからの愛ではシーザーに一矢報いていたような気がする。たとえそれが、シーザーの遺児カエサリオンを殺された絶望が後押ししたものであったにしても。

 また、クレオパトラの傍でずっと彼女を慕い続け、最後に殉じていた従者アポロドロス(チェザーレ・ダノーヴァ)の存在がなかなか好かった。女主人が死を覚悟していることを察し、数十年に及ぶこれまでの想いを告白した彼に「知っていたわ」ときちんと返した彼女の言外に「女王になるべく生まれた私には、好き嫌いで相手を選ぶことなど許されなくて、強い男が必要だったのよ。だから、応えるわけにはいかなかったの」との言葉を彼は受け取ったのではなかろうか。知っていながら身分違いに憤って遠ざけたりしなかったのは、そういうことなのだろうと。最後に殉じる決意をしたのはその時だったような気がする。彼があおった毒薬の瓶を見つけたオクタヴィアヌスが、匂いを嗅いで「毒薬にしては、甘い香りだ」と呟いていたのは、そういうことだと思った。シーザーの野心に火を点け、アントニウスの猛将としての名も誇りも傷つけ、従者に殉死をさせてしまうクレオパトラこそが“甘い香りのする毒薬”というわけだ。

 これぞハリウッド!という、実にハリウッド映画らしい大作映画を観たような気がした。
by ヤマ

'21. 6.26. BSプレミアム録画



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