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『ジーン・シャープ『独裁体制から民主主義へ』非暴力という「武器」』を読んで | |||||
中見真理 著 <NHK100分de名著テキスト>
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第1回:独裁体制は見かけほど強くない https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/D24XGNNJMB/ 第2回:非暴力という「武器」 https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/W4NKVJ7ZML/ 第3回:非暴力ゆえの勝利 https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/ZNGVY2R977/ 第4回:新たな独裁者を生まないために https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/GGNWQ22XP2/ 定例の青春プレイバック合評会で『ガンジー』と『ラストエンペラー』が先ごろ採り上げられた際に、ガンジーについて“無抵抗主義”なる言葉が冠せられたことに対し、確かにそのような呼称も嘗てあったけれども無抵抗ではなく、非暴力抵抗主義という呼び方のほうが一般的になってきている気がすると言ったときに、そう言えば、再放送時に買ったままだったことを思い出し、読んでみた。 ガンジーと違ってジーン・シャープの名は知らなかったのだが、当然のことながら、略年表(P13)にも記されているとおり、彼が二十歳の時に暗殺された「ガンディー研究に勤しむ(~55)」ところからキャリアをスタートさせていた。シャープの唱える非暴力闘争論を活用した成功事例として紹介されていた「セルビアのミロシェヴィッチ追放運動」(P52,53)や「リトアニアの独立回復運動」(P68,69)にそのような背景があったのかと驚くとともに、彼が『独裁体制から民主主義へ』を著わすきっかけになったミャンマーの民主化運動のほうは、芳しい成果には至っていない気がした。 それでも、第4回「新たな独裁者を生まないために」で紹介されていた「ハーバード大学のエリカ・チェノウェス(執筆当時はデンバー大学)が、米国平和研究所のマリア・ステファンと行った共同研究の成果」(P96)としての「一九〇〇年から二〇〇六年までの間に政府を打倒(もしくは抑圧者から領土を解放)した抵抗運動のうち、参加者が千人以上の事例三百二十三件を徹底的に調査しました。その結果、暴力的抵抗の勝率が二十六%ほどだったのに対し、非暴力で闘ったケースでは実にその二倍、約五十三%が成功を収めていることがわかった」(P97)との報告はインパクトがあった。「このことは、軍事に偏ってそれまで非暴力論をまともに扱ってこなかったアメリカの政治学や国際関係論の研究者たちに強い衝撃を与えました。…さらに二人は、二十世紀に起きた軍事革命の多くが新たな抑圧的支配体制を生んでいたのに対し、非暴力闘争が民主主義体制を導いていることも明らかにしました。」(P97~P98)としたうえで「運動成功のためには、人々を大量動員することができるかどうか、治安維持勢力(軍・警察)の体制に対する忠誠心に変化をもたらすことが可能かどうか、の二要因が決定的に重要だとも指摘」(P99)していることを紹介しているのが目を惹いた。 著者が「はじめに」に記している「二十一世紀はアメリカ同時多発テロ事件で幕を開け、いま私たちは終わりの見えない暴力連鎖のなかに置かれています。さらに経済のグローバル化が新たな格差や差別を生み、近年は民主主義を標榜する国々においても、排外的な言動で人々を煽るポピュリスト政治家の台頭が目立ちます。民主化運動がさかんになる一方、いつの間にか世界には強権的政治体制が増え、テロや紛争を軍事力で解決しようとする動きが暴力行使に拍車を掛けています。 このような状況を打開し、暴力によらずに戦争や様々な抑圧・差別を解消していくにはどうすればよいのか。」(P4~P5)との問い掛けは、傍若無人のヤケクソにさえ映るベンヤミン・ネタニヤフ首相の暴虐によってますます重みが増してくるように感じる。 「非暴力闘争を宗教的・道徳的な観点からではなく、軍事にも学びながら戦略的な闘争理論として体系化した」(P15)というシャープは、「宗教的・道徳的観点を強調する人たちが、普通の人を下にみて、彼らと共に闘うことを軽視していたために、非暴力運動の技術的側面の開発がなされてこなかったのではないかともみていました。彼は、運動の担い手が広がることを重視し、普通の人が担うことのできる非暴力理論の構築に力を注ぎましたから、彼の提示する非暴力闘争理論は、私たちの誰もがその一翼を担い、日常生活の延長として参加することができるものになっています」(P16)と述べられていた。 「民衆は独裁体制を打倒する力を持っている。にもかかわらず、なぜ服従してしまうのでしょうか。そこには七つの要因があるとシャープは言います。「習慣」「制裁への恐れ」「道徳的義務」「自己利益」「支配者との心理的一体感」「無関心」、そして「不服従への自信の欠如」です」(P30)というのは正鵠を射ていると思うけれども、その超克はやはり相当に困難なものだと思わざるを得ない。 だが同時に「国家間の対立においても暴力(軍事力)での防衛には限界があると考えていました。科学技術の発達によって武器の破壊力が飛躍的に高まったため、軍事力で領土を守れたにしても、領土内の本来守るべき人命、システム、生活様式、自由などは守れなくなっています。」(P33~P34)との状況認識については同感なので、「多くの人々は暴力を必要悪ととらえている」(P34)ことに対して、「暴力に代わり得る抵抗手段として戦略的非暴力闘争論を打ち出した」(P35)ことを大いに支持している。 「重要なのは、非暴力による抵抗が、独裁政権にとって対処しにくい方法であるということです。民衆が「力」で歯向かってくるのであれば、より大きな「力」でそれを叩けばいい。ところが非暴力闘争は、独裁体制が政治的な力を維持するために必要なものを断ってしまう。つまり、独裁者が得意とする闘いの土俵から降り、土俵そのものを底抜けにしてしまう闘い方なのです。」(P41~P42)というわけだ。第2回に出てきたオトポール!もジョージアのバラ革命もウクライナのオレンジ革命も、その名を知らなかったが、第3回のタイトルである「非暴力ゆえの勝利」の事例について、多くの人々が知るようになれば、少しは状況の変革に寄与する部分もあるはずだと思うけれども、ほとんど意図的に埋もれさせてきている気がする。 そして「私が真っ先に思い出すのは、南アフリカの事例です。一九九四年に南アフリカ初の普通選挙で大統領となったネルソン・マンデラは、白人の旧高官を手厚く処遇しました。マンデラは長く獄中に置かれ、辛酸をなめてきたのですから、報復的措置を採っても不思議ではない。マンデラ支持者のなかには、それを望んでいた人もいたでしょう。しかし彼は、国内に対立の火種を残さないよう融和策を推し進める道を選びました。したたかに考えた結果だと思いますが、なかなかできることではありません。」(P86~P87)との記述に『インビクタス 負けざる者たち』['09]や『マンデラ 自由への長い道』['13]を思い起こした。 | |||||
by ヤマ '25. 6.26. <NHK100分de名著テキスト> | |||||
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