『ひめゆりの塔』['53]
『米』['57]
監督 今井正

 高校時分の映画部の部長のセレクションによる合評会課題作として、連日観賞したものだ。先に観た『ひめゆりの塔』は、三十九年前の七月に高知東宝で観た今井監督によるリメイク作['82]に「いまいち」と記録している映画の東映でのオリジナル作だ。手元の記録には、本作の観賞歴が残っていないのだが、岡軍医を演じていた藤田進や宮城先生の津島恵子、そして香川京子による上原文に観覚えがあったので、TV視聴か何かをしているのだろう。

 二つの『ひめゆりの塔』ともに、水木洋子の同じ脚本に基づいて映画化されているとのことだから、筋立て自体に違いはないはずなのに、今回観た作品は「いまいち」どころか、沖縄戦下でひめゆり学徒隊が被った過酷な惨状をよく伝えていたように思う。とりわけ敗走のもと繰り返されていた“転進”なるものに、なにゆえ彼女たちがかような目に遭わなければいけないのか観ていて腹立ちが湧いてきて仕方がなかった。リメイク作品では、戦後十年も経たずして撮った本作のような生々しい惨状を描き得ていなかったのだろうという気がした。きぃ坊と呼ばれていたように思う少年のほかは、出演者のほぼ全員が戦争経験者である本作と、老いた島民以外のほぼ全員の出演者が戦後生まれのリメイク作では、そこに大きな違いが出てきて当然なのだろう。

 劣悪な衛生状態のもと、物資の欠乏にも困窮し、看護どころではない有様のなか、虚言に等しい大本営発表のもと数カ月にわたる敗走を重ね、命も精神も脅かされていた兵士や学徒の状況にあってなお、戦争遂行こそが最優先事項となっている狂気の沙汰こそが、幾人かの兵士の発狂よりもずっと強烈だった。理性と温情を備えていた岡軍医さえもが、最後は後ろから女学生を銃殺するようになっていた姿が印象深い。軍隊はけっして自国民を守ったりしないし、戦時となれば、ガマ(洞窟)を出た女生徒や海岸を逃走する女生徒など明らかな非戦闘員でも機銃掃射で撃ち殺すのが軍隊であることを余すことなく描いていたように思う。旧日本軍だから、米軍だから、というものではないということだ。旧日本軍であれ、米軍であれ、現在のミャンマー軍であれ、中国軍であれ、軍隊というものは、本質的にそういうものだろうと思う。旧日本軍の蛮行だけを描かずに米軍の機銃掃射を描いていたところに作り手の見識が窺えるように感じた。

 合評会メンバーからは、沖縄スパイ戦史を引いて「軍が守るのは、国でも領土でも国民でもなく、軍の規律だね」といった意見が寄せられたが、全くその通りだと思う。また、ネットで知り合った古くからの映友からは、本作の撮影が真冬に行われたらしいと教えてもらった。本作に「出演していた潮健児氏によると、本番前に口に氷を入れて白い息がでないようにしたり、泥の中に横たわるシーンでは水を含んだ泥が凍り付き、その上からホースで水をかけられた」ということらしい。ひめゆり学徒隊には及ばないまでも、撮影現場は相当な過酷さだったようだ。であれば、川での女学生たちの水浴びも冬に撮影されたことになる。'53年当時だと復帰前で、当然ながら沖縄ロケなどできるはずがないから、どこの川で真冬に水遊びをさせていたのだろうか。もはや虐待という外ないように思った。昔の役者たちというのは本当に凄い。させるほうも凄いというか、酷いというか、今だと到底無理だろうと驚いた。


 翌日観た『米』は、僕が生まれる前年の映画だ。作品タイトルは「コメ」と読まずに「よね」と読むべきだと思われるほど、安田よねを演じた望月優子が印象に残る映画だった。

 元の地主(山形勲)からは裁判に訴えてでも田を返してもらうと脅され、警察からは禁漁違反+公務執行妨害+傷害罪の三重罪で出頭を要請されたと思っているよねが、頭の中真っ白の思考停止に陥った挙句の悲劇を迎える、いささか後味のよくない話を観ながら、今の時代の人なら凡そ選ばない気のする意思、振る舞いばかりが次々と現われ、暮らしの道具であれ、農業、漁業の道具であれ、何を取っても今や歴史民俗資料館に収蔵されていそうなものばかりという画面に、呆気に取られていた。

 高知に住む僕からすると、茨城県の霞ケ浦なら東京近郊じゃないかと思えたりするが、奇しくも一昨日観たトキワ荘の青春['95]に描かれていた東京とちょうど同じ時期とは思えない風情に、思わず僕が幼時の高知でさえ、もう少し開けていたような気がしたほどだった。耕運機ではなく牛を曳いて田を耕し、竈で煮炊きをする生活に僕自身の覚えはないが、今回の二作をセレクトした同窓生の記憶には残っているものばかりらしい。

 そういう意味でも、非常に興味深く観はしたのだが、前日に観た『ひめゆりの塔』ほどではないにしても、'50年代の日本映画の録音の悪さによるものか、音声の聴き取りに難儀して、少々苛ついた。これでは、字幕が要るとしか思えない。聴き取れないから、流れで観るしかないわけだが、それにより自ずと画面頼りになってくるという効用はあるような気がした。思えば、四十年前に観た矢崎仁司による『風たちの午後』['80]など、わざと音声レベルを極端に下げて、声が聞き取れないようにしていたことを想起したりした。

 また、カレーライス60円、親子丼90円と食堂にあって、当時の卵は高級食材だったのだなと思ったりしたのだが、前々日に観た『トキワ荘の青春』での中華屋のメニューも、モノは違っても似たような値段だったような気がする。だが、『トキワ荘の青春』は同時代の作品ではなく、四十年後に撮られた映画に相応しいノスタルジーが漂っていて、当時の日本の生活の厳しさにノスタルジーなど入り込む余地のない同時代作品との対照が印象深かった。この当時をまさしく昭和ノスタルジーとして描き大ヒットしたALWAYS 三丁目の夕日['05]が撮られたのは今世紀に入ってからだったことを思えば、改めて本作の重要さが増してくるように感じられた。

 つまり、前半が仙吉(木村功)定子(岡田敏子)兄妹、後半がよね(望月優子)の映画で、その三人が霞ケ浦から姿を消す話だったわけだが、前半で田んぼを分けてもらえない次男坊たちの悲哀が示され、後半で刺網も田んぼも取り上げられ収監される不安に絶望したのであろうよねの姿が描かれていて、米を作る土地を持てないことの過酷が映し出されていたような気がする。そして、その少し先のところに、彼ら三人三様の転落を招いているものとして、ある種の愚かさと言うか教育の不足を仄めかしているようにも感じられるところが、いかにも今井監督作品だという気がした。同時代作品において描かれた世界に触れると、少なくとも手放しでノスタルジックに偲ぶような時代ではなかったことが痛感されるように思った。




*『米』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/3660295507403339/
by ヤマ

'21. 7. 4. DVD観賞
'21. 7. 5. DVD観賞



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