『瀬降り物語』['85]
監督 中島貞夫

 高校時分の映画部の部長からの課題作として三十六年ぶりに再見した。観た年のマイベストテンの日本映画一位に選出していた作品で、先ごろリニューアルオープンしたばかりの「山荘しらさ」がクレジットされて、地元ロケも行われたことをエンドロールで知った映画だったが、再見すると、伊予も阿波も讃岐もその名が出て来たのに、土佐は聞くことがなかった。

 もっともハタムラ【掟】破りのダブル不倫(本作の舞台となった国家総動員法が施行された1938年は勿論、公開当時の1985年時点でもこういう言葉は人口に膾炙していなかったように思うが)の罰として、首から下の全身を土中に埋めて放置された後に共同体を追放されていたイヨのイマスケとアワのキヨだったり、徴兵忌避で追われていたカズオ(内藤剛志)とハナ(早乙女愛)が金銭に釣られたヤカラのたれこみで官憲に捕まった土地であったりして、あまり聞こえの好い形ではなかった。

 夫が出征中にハイカラな構えで帰郷した義弟のジロー(光石研)の手を取って自分の胸に誘い込んでいたミツ(永島暎子)からテンバモン【転婆者?】と罵られていたクニ(藤田弓子)たちは、戸籍も持たない漂泊の山の民だったが、かつて映画日誌厳しい自然のなかで、自然と戦いながらではなく、自然とともに、つましく逞しく生きる彼らの生活と記した部分は、再見すると学術的には結構いい加減なところがありそうな気がしたものの、その描出の迫力については、観直してみても、今では撮影不可能ではないかと思われる力強さに満ちていて、昔の役者たちは本当に大したものだと思った。妻に先立たれた若く寡黙なヤゾウ【親分】を演じた萩原健一が嵌り役だった。若ヤゾウと呼ぶ息子と思しき少年の抱いたモヤモヤに対して、話をするのではなく、「かかってこい!」で応じる対話の交わし方が、如何にもらしくて似合っていた。

 だが、主役は、やはりクニを演じた藤田弓子だと改めて思った。歳の離れた亀蔵(殿山泰司)の妻であるゆえにヤゾウへの己が想いを封じる代償を娘のヒデ(河野美地子)に課しつつ、亀蔵の不慮の事故死によって寡婦となった際には、孕んでいた子供が生まれると十五歳になるまで寡婦を守らなければならないハタムラの厳しさに死産を願った己が罪深さに震えていた姿が哀れだった。そして、図らずも死産であった後に期せずしてヤゾウへの想いの叶った代償であるかのようにして娘の操をトウシロ【素人?】に易々と奪われていたからなのか、村人たちによって殺される末期に「これでええんよ」と言い残していたのが、何とも痛切だった。

 本作の描いていたものについて思うところは、日誌を綴った二十七歳の時分とほとんど変わるところがなかった。今村昌平の『楢山節考』にも共通するところであるが、この作品がそれを越えていると思われるのは…と記してあるのを読み返してみて、本作を再見したなら『楢山節考』も再見してみたくなった。

 また、祭礼を汚された村人たちが山へ逃げ帰るクニを追うなかでミツが叫ぶ「殺せ~」に、瀬々敬久監督・脚本の楽園の豪士(綾野剛)狩りを想起した。戦時中の特異な物語というわけではないということだ。
by ヤマ

'21. 5.13. DVD観賞



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