『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』
総監督 庵野秀明

 五年前のシン・ゴジラがバカ当たりした庵野秀明による『シン・ウルトラマン』の予告編と『シン・仮面ライダー』を鋭意準備中との告知を観て、そう言えば、と四部作になるとの触れ込みだった『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の最終版が『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に改題され、ヱヴァではなくエヴァになっていることに気づいた。

 いかにも興行界にありそうな話だが、十四年前に「序」を観て、十二年前に「破」、九年前に「Q」を観たきりだと、「え~と、これは誰だっけ」というところもあって少々戸惑ったが、お話の骨格そのものは割とシンプルな親子の葛藤ものなので、然したる不都合もなく観た。

 それにしても天晴れな誇大妄想だったなと感心しつつも、しれっと“裏宇宙”などというト学会用語のようなものが登場してきて可笑しかったが、最後は、けっきょく碇親子の妄執が引き起こした、実にはた迷惑な話だったのだなと失笑した。十二年前に脱ぎ場面が増えていたし、アスカが寝苦しそうにしている場面の下着の股間の映し出しと動きの生々しさには唖然。道理でオタクファンがつくわけだと記していた部分は、ホワイトアウトして「終劇」とクレジットされる本作でも、作品コンセプトの核を担う部分として、しっかり守られていたように思う。


 ちなみに前三作の観賞メモは、以下の通り。
2007年12月12日TOHOシネマズ2「序」
 相当なヒット作らしいのに、高知ではなぜか劇場に掛からず、1月5日にオフシアター上映が決まり、チラシの配布を始めたところで急遽シネコンが上映すると言い出して劇場に掛かった曰く付きの作品なので、新劇場版となる前の前劇場版もコミック版もTVシリーズも未見の予備知識ゼロで観たのだが、物語的にはシンプルで背景や事情などの不明点は多々あれど、さして支障は感じなかった。  エンドロールの後に、次の予告が「破」のタイトルと共に示されたので、そうか「急」で仕舞いをつける三部作かと思いきや、帰宅後にチラシを見ると、序破急+?の全四部作だって(苦笑)。それなら起承転結でしょうに、と思った。
 チラシには「新たな観客のために用意された新たな物語」というようなことが書かれていたから、僕のような予備知識ゼロの観客向けだったらしいが、とすれば、率直に言って、なぜこれが圧倒的な支持を得るほどの人気世界なのかが今ひとつピンと来なかった。
 登場する主要キャラの全てが妙にわざとらしく誇張造形されていて、どうも馴染めない。でも、ああいう女性キャラの作り方がオタク族の心をくすぐるのだろうなという感じは、何となく判らなくもない。画面に出てくる舞台同様、物語も、壮大な非現実性と極めて日常的な卑近性の強引な混交状況の提示であるところがオタク心をくすぐるんだろうか(笑)。

2009年07月20日TOHOシネマズ9「破」
 前作『序』を観たのは、'07.12月なものだから、もうろくに覚えてなくて少々心許なかったが、構えの壮大さとは裏腹に筋立ての骨格はシンプルそのものだから、さしたる支障はなかった。前作を観たときに画面に出てくる舞台同様、物語も、壮大な非現実性と極めて日常的な卑近性の強引な混交状況の提示であるところがオタク心をくすぐるんだろうか(笑)。とmixiに記したが、基本線は同じに見えたものの、シンジのキャラのもたらす相変わらず何か辛気臭く幼い内向性が今回は少々鼻についた。
 女性キャラの造形は、戦闘場面同様、前作よりもパワーアップしていて脱ぎ場面が増えていたし、アスカが寝苦しそうにしている場面の下着の股間の映し出しと動きの生々しさには唖然。道理でオタクファンがつくわけだ(苦笑)。
 それにしても、綾波・式波・真希波って何よ(笑)などと思いながら観つつ、その構築世界にも女性キャラにもたっぷりと注がれている妄想力に感心していた。漫画でも劇画でも映画でもない、言うなれば“念画”だな、この妄想世界は(笑)。前回同様、エンドクレジットの後に予告編ってのが付いていたが、次回は序破急の『急』ではなくて『Q』だそうだ。村上春樹が新作長編小説をオーウェルの『1984』をもじって『1Q84』として出したからなんだろうな~、きっと(笑)。

2012年12月12日TOHOシネマズ6「Q」
 14年間眠っていて一変している世界に馴染めないシンジは、なんだかフェイクに掛けられているようだった。でなければ、誰も老けていないのは全てが人造物だからなのかも。訳の分からない戦闘に明け暮れている悪の張本人は決して“使徒”なんかじゃなく、シンジの親父に他ならない気がした。
 世界観なる大仰な言葉がよく持ち出される「エヴァ」なのだが、『エヴァンゲリオン』は未見の僕が、そのパラレルワールドものとも言えそうな『ヱヴァンゲリヲン』をこれまで3作観てきて思うのは、派手な戦闘とはったりめいた大仰な構えの割に、物語にスケール感がなく、とても世界観なる言葉が似つかわしいとは思えない卑小さを感じた。
 「綾波」の表札の掛かっていたプレハブのような小屋に住むレイだかユイだか、はたまたそのいずれでもないかよく判らぬ女性の全裸の後ろ姿がワンカット映し出されたりするあたりは、従前来の約束事のようだが、いかにもワザとらしかった。
 序・破・急の急を「Q」に変えたのだから、次に待つのはAかと思っていたら「Ⅰ」となっていたように思うから、新劇場版は4作でもまだ終えるつもりはないのかもしれない。
by ヤマ

'21. 5.12. TOHOシネマズ1



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