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『ホワイト・ナイツ』(White Nights) | |||||
監督 テイラー・ハックフォード | |||||
まずオープニングで展開されるバリシニコフの踊りに圧倒される。『バレンチノ』や『愛と哀しみのボレロ』で観たバレエも相当なものだったが、バリシニコフのバレエはそれらよりも遥かにドラマチックで印象的だ。そのバリシニコフ扮するアメリカへ亡命したロシア人とタップダンサー、ハインズ扮するソ連へ亡命したアメリカ人のソ連からの脱出の物語である。亡命者の孤独と苦悩、権力の陰謀、愛と友情等厚みのあるドラマが脱出のサスペンスとともに見事に語られる。視覚的要素にも聴覚的要素にも配慮の行き届いた、まぁ作品としての出来は上々の部類の映画である。しかし、それだからこそ却ってこんな映画はまずいんじゃなかろうか。 この作品、実に露骨な反ソ映画である。ソ連という国の自由の抑圧の凄さ、陰謀のいやらしさを非難し、西側の自由を賛美する。黒人タップダンサーの口からアメリカ自由社会の持つ欺瞞も語られはするが、亡命ロシア人ダンサーの言葉によって「今はそんなことはない」と言わせている。ロシア人の政治局員が権力の陰謀のダーティーさを体現した形のイヤな人物として描かれるのに比べ、アメリカ領事館の人物にはそういった権力側の人間の体臭がきわめて薄い。ソ連批判と言えるようなものではなく、イデオロギッシュとも言えないくらいのアジテーションである。そのようなものによっていたずらに掻き立てられる反ソ感情ないし、それへの反発は東西の対話に害はあっても利はなく、相互拒否を招くだけだ。折しもタカ派レーガン政権下、保守化・右傾化の流れに乗って興行的には成功するのだろうが、まるで国防省がプロデユースしたような作品は戴けない。 娯楽作品にしろ芸術作品にしろ、権力に迎合した作品は、その出来栄えは抜きにして下品である。同じ権力の陰謀への視点にしても、先日TVで観た『ミッシング』(コスタ・ガブラス監督)などに比べるとあまりにも志が低いと言わざるを得ない。ソ連には確かに自由の抑圧はあるようなのだが、このような描き方をすると、その問題以上にこのような描き方をすることの問題のほうが印象深く、味が悪い。個人のドラマや踊りの見事さが艶消しである。 | |||||
by ヤマ '86. 5.28. 松竹ピカデリー | |||||
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