『若草物語』(Little Women)['49]
監督 マーヴィン・ルロイ

 原題を同じくする『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』['19]を昨年、観たときにいちばん強烈だったのは、「父に捧ぐ」としたため秘蔵してあったジョセフィンの原稿を妹のエイミーが腹いせに焼却した場面だったが、あのようなエピソードが『若草物語』にもあったのだろうか。と記していたことについては、ネットの映友女性から、原稿を妹のエイミーが腹いせに焼却した場面、その後ジョーを追いかけたエイミーが氷河に溺れかけるシーン、原作にあります。と教わっていたのだが、哀愁['40]のマーヴィン・ルロイによる本作には、当然のように描かれていなかった。

 その『ストーリー・オブ・マイライフ』を観て、『若草物語』というのは、あれほど毒を含んでいたのだろうかと少々気になって、遠い日に読んだ原作を再読してみようかと思った件については、別の映友から映画は『若草物語』のみならず『続若草物語』も原作になっている…(何と「若草物語」は4部まである!)と聞いて萎えてしまったのだが、少なくともこの映画化作品に毒は皆無だった。

 七十年以上も前になる'40年代の作品なのに、えらく色が美しく、色彩設計が見事だったように思う。元々クレオパトラ['63]を再見してエリザベス・テイラーを観直し、十代時分の作品は、『緑園の天使』を半世紀近く前に観たっきりだと録画したものだが、本作では末妹ではなく三女となるエイミーを演じた美少女ぶりは、メグの容姿、ジョーの文才、エイミーの画才、ベスの楽才という四人姉妹の長女メグを演じたジャネット・リーを圧倒していたような気がする。

 若い女性の面倒臭さというものに少々辟易とした部分もあった『ストーリー・オブ・マイライフ』に比べると、クラシック作品だけあって非常に観やすかったが、観応えは『ストーリー・オブ・マイライフ』が上だと思った。また「Young Wemen」を若草物語と訳することについて投げ掛けて来てくれた映友もいて、今だと女性差別だとか言われかねないことに気づかされた。

 確かに「女性を草とは何事か」などと目くじらを立てそうな人が増えているような気がする。若草それ自体には、男女の性別なく、むしろ生命力の旺盛さや活力のイメージが僕にはあるけれども、「草の字」一点に拘って自身の内にある「草」のネガティヴイメージにのみ囚われそうな人が、いかにも言上げしそうではある。だが、その注文の付け方というのは、少々偏狭な気がするのだけれども、何かクレームがつきそうだとなれば、さっさと回避して事なかれで済ませるのが利口だという風潮を苦々しく感じている僕には、非常に興味深い投げ掛けだった。

 言葉への注文のつけ方にしても、本来の意味をわきまえない出鱈目な使い方にしても、当世の言葉の乱れには看過できないものがあるなどと言い始めたら、年寄りの証拠だとかねてより言われている僕だけに、なおさら興味深いことだったのだが、その点で言えば、ようやく歳のほうが追い付いてきたという感じもしないではない昨今だとも思った。




推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1976076274&owner_id=1095496
by ヤマ

'21. 8.28. BSプレミアム録画



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