『新・ガンヒルの決斗』(Shoot Out)['71]
『真昼の用心棒』(Massacre Time)['66]
監督 ヘンリー・ハサウェイ
監督 ルチオ・フルチ

 一ケ月ほど前にミネソタ大強盗団』『さすらいのカウボーイ』を観たときの映画日誌に、やはり '70年代の西部劇は、僕の好んだ西部劇とはテイストが違うと改めて思ったと記したが、グレゴリー・ペックとヘンリー・ハサウェイがコンビを組めば、'70年代作品でもやはりどこか往年の西部劇を偲ばせる映画になるのだなと妙に感心した。

 邦題では「新」などと付けているが、たまたま出てくる地名も同じ復讐劇というだけで、カーク・ダグラスがなかなか渋かったガンヒルの決斗とは何の繋がりもない物語だ。七年の刑期を終えて出所し、自分を裏切った相棒への復讐の旅に出るクレイ・ロマックスを演じたグレゴリー・ペックは、五十路になろうとも相変わらずグレゴリー・ペックだったように思う。

 とはいえ、出ずっぱりのボビー・J・ジョーンズ(ロバート・F・ライオンズ)の下衆っぷりには、いささか度の過ぎたところもあって、'70年代作品だけのことはあったし、酒場のバーテンが身体障碍者で三輪の車椅子に乗っていたりするのは、かつての西部劇には出てこないもののような気がした。

 本作の元相棒のサム・フォレー(ジェームズ・グレゴリー)の描き方を観ると、同じガンヒルのボスでも『ガンヒルの決斗』でのクレイグ・ベルデン(アンソニー・クイン)とは、人としての「格」に大きな違いがあったが、クレイグの息子リック以上に、とにかくボビーの下衆っぷりが繰り返し描かれていて、「虫唾が走るというのは、あやつのような野郎のことだ」と半ば感心していた。

 また、繰り返し「ねぇ、わたしのパパなの?」と訊ねてクレイを困らせていた少女が何とも面白かった。「(頭に戴く)帽子を簡単に変える男は信用ならない」だとか、なかなか意味深長なことを言う幼子だったのだが、彼女が主張する馬の話もなかなかのもので、野生の子馬は(母親から)盗んではいけないけど、もはや一頭で柵に囲われている牧場の子馬を盗むのは、場合によっては仕方がないという彼女の弁により、クレイは牧場の子馬を連れ出し、買取っていた。

 こういう教訓めいたことは、マカロニウエスタンには全く出てこないと改めて思ったのが、三日ほど後に観賞した『真昼の用心棒』だった。オープニングタイトルに「セカンド・エディション」とあったから、別バージョンもあるのかなと思ったりしながら観たのだが、怒りのガンマン/銀山の大虐殺』をみたときに、マカロニウエスタンは場面を見せるのであって、筋立てることに関心はないということが、よく判った気がすると記したことを改めて思うとともに、原題も邦題も随分といい加減なものだと思った。

 「虐殺の時間」という原題はむしろ『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』のものだし、邦題の『真昼の用心棒』に至っては、「棺桶屋が出てくれば、用心棒なのか?」と些か呆れた。

 このような筋立ての物語ならば、あれだけの腕前を持った兄のジェフリー(ジョージ・ヒルトン)が、なぜ易々とスコット父子に牧場を奪われ、飲んだくれに落ちぶれているのか、また、浅慮短気のスコット Jr.(ニーノ・カステルヌオーヴォ)がそんなジェフリーを始末していないのは何故か、さっぱり合点が行かなかった。そして、それら総てに対して、いかにも取って付けたようなトム(フランコ・ネロ)の出生の秘密だけで片付ける乱暴さが、いかにもマカロニ風味だという気がした。

 思うに『ガンヒルの決斗』['59]のリック、『新・ガンヒルの決斗』['71]のボビー、マカロニの『怒りのガンマン』['72]の三男アダム(クラウス・グリュンベルク)、『真昼の用心棒』['66]のスコット Jr.を比べると、似たような役回りを負っていたような気がする。凶暴な残忍さではマカロニの二人が、ボビーの下衆っぷりを上回って、ほとんど狂気掛かっているように感じられたが、スコット Jr.には、アダムにはない気持ち悪さが入っていて、なかなかのキャラクターだった。ボビーは、虫唾の走る野郎だったが、気持ち悪い感じはしなかったことに気づかされたように思った。
by ヤマ

'21. 6. 3. BSプレミアム録画
'21. 6. 6. BS日テレ録画



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