『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』(The Big Show Down)['72]
監督 ジャンカルロ・サンティ

 オープニングのハーモニカと女声コーラスの入った音楽を聴くと、俄然マカロニ風味が漂ってきて、このところ続けて観た '50年代ハリウッドウエスタンとの違いが歴然としていた。リー・ヴァン・クリーフの登場には喜んだのだけれども、余りと言えば余りな、ただただ見せ場を作るためだけのストーリー展開と、やたらとカッコつけた見せ場の作り方に少々萎えてきていたところに、「なんじゃそれは」の真犯人に唖然とした。

 たまさかフィリップ・ベルミア(ピーター・オブライエン)が脱獄して賞金首になったから、それとなく助けることができたにしても、そうでなければ、クレイトン保安官(リー・ヴァン・クリーフ)は、どうするつもりだったのだろう。

 邦題に繋がってもいるアダム・サクソンの機銃掃射にしても「何だかなぁ」と思わずにいられない運びだった。だいたい鉱脈の在りかを知っているのなら、フィリップを水責めするまでもない話だし、知らないのであれば、あそこで虐殺して邪魔だてするよりも掘らせてから始末するほうが理に適っている。フィリップを執拗に追う目的が銀山なのか、賞金なのか、仇討ちなのか、何とも焦点のぼやけたサクソン一家だった。

 それにしても、親子兄弟全く似ていなかったのはキャラクターを立てるためなのだろうが、もしかすると三人とも異母兄弟だったのかもしれない。また、追っ手に命じた配下のポールが仕込んだ、あの少々手の込んだ駅馬車爆破の仕掛けは、いったい何のためだったのだろう。ついつい観客に見せるためかなどと思ってしまい、妙に可笑しかった。

 しっかり蠅も飛んでいたし、やたらと顔のズームアップが目立っていたし、音楽の調子といい、「1時間半の映画でこれほど勿体をつけるか?」という場面演出といい、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト['68]の影響もろ被りのように感じられるところも、何とも可笑しかった。

 改めて、マカロニウエスタンは場面を見せるのであって、筋立てることに関心はないということが、よく判った気がする。不死身のフィリップは、色事に荒事に八面六臂の活躍ぶりで、一方“男は黙って”のクレイトンは、ゆっくり只管歩いてばかりいる映画だった。ろくにガンファイトもせずに、歩いて酒飲むだけで見せ場にできる役者というのも、そうそういるものではない。流石はリー・ヴァン・クリーフだと思った。
by ヤマ

'21. 5.21. BSプレミアム録画



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