『夕陽の挽歌』(Wild Rovers)['71]
監督・脚本 ブレイク・エドワーズ

 数日前にミネソタ大強盗団['72]とさすらいのカウボーイ['71]を観て「'70年代の西部劇は、僕の好んだ西部劇とはテイストが違う」と記したが、二時間十五分ほどの本作を観て「やはり '70年代の西部劇はヘンだな」とまたもや思った。今と違って昔は二時間を超えると大作だったとはいえ、往年の大作映画のように序曲付きで始まるばかりか、二時間余の作品で一時間半余りくらいのところで間奏曲が入って驚いた。

 その間奏曲直前のワイオミングの山中で、捕えた野生馬馴らしに雪まみれになってベテランカウボーイの年季と腕の冴えを見せるロス・ボディーン(ウィリアム・ホールデン)の傍らで、雪山にはしゃぐフランク・ポスト(ライアン・オニール)の描出がかなり繰り返され、本作と『ある愛の詩』は、どっちが先だったろうなどと思ったりした。

 序曲の後のオープニング映像からして雄大な西部を美しく捉えて格調高く始まり、少々勿体ぶった感じさえ与えられて身構えたわりには、最初のエピソードのニューシネマ的な身も蓋もない描出に唖然とした。牧童仲間のバーニーが、比喩ではなく本当に「馬に蹴られて死んだ」ことに人生の儚さを想ったとでもいうのか、町に繰り出した酒場で牧草泥棒の羊飼いたちと派手な喧嘩をした挙句、酔い潰れて馬車の荷台で昏睡したまま、スカートを捲って尻を出して小ぶりのたらいに小用を済ませた女性が二階から屋外に投げ放った小水を浴びて朝帰りし、牧童仲間から酷い臭気をからかわれるなどという、およそ序曲・間奏曲つきの往年の大作とは趣の違う造りが可笑しかった。

 ロスとフランクの銀行強盗の動機にしても、その手口にしても、まったく呆気に取られるような手軽さで、“Wild Rovers”というよりも“Easy Rider”という風情だった。保安官にしても娼家に入り浸りで本気で追う気がなく、州境で引き返すことが折り込み済みだったように思う。何とも緊張感のない運びが結果的になのか意図的になのか、煙に巻かれる感じが実に風変わりなテイストになっていた気がする。

 役立たずの保安官など最初から見透かしている牧場主ウォルト・バックマンが、ポールとジョンなどというビートルズみたいな名前の息子二人に追わせるのだけれども、配役のバランスからして、物語の軸は捜索者たちではなく、ロスとフランクのほうにあるわけで、あくまでラストに繋げるためだけの追跡者の配置だった気がしてならない。銀行強盗が禁固五年で、馬泥棒が即刻縛り首だった時代の、喧嘩で銃をぶっ放す連中の人生観とか価値観というのは、およそ測り難いところがあるなか、道中で二人が生命保険の唄を歌ったりしていて仰天した。

 西部最北州のモンタナからメキシコを目指した逃避行ながらも、ワイオミングを抜けただけで、道程からすれば僅か半分ほどのユタ州で迎えていたラストの呆気なさと、ポールの「すまない」に対するロスの「こちらこそ」も含めて、なんとも風変わりな映画だった。兄のポールは、ロスの死体を持ち帰ろうとする弟のジョンを置き去りにして行っていたし、討伐そのものに乗り気でなかったのは、何故だろう。二人の追跡のための留守中に牧草盗っ人の羊飼いハンセンとの相撃ちで絶命していた父親からの命令によって仕方なく追ってきているけれど、もしかすると、ロスとフランクが強盗した銀行の預金には保険が掛けられていて、預金者である自分たちには損害が発生していないなかでの捜索だったからかもしれないとも思った。昔気質のウォルトにしてみれば、面子や名折れに関わる重大事なのだろうが、息子のポールは、そういうことに醒めていたような気がする。

 また、モンタナの牧場の古参牧童であるロスがどうしてメキシコを知り、憧れていたのだろうと思っていたら、旧知らしい黒人からラバを購入した際に軍曹と呼ばれていた。もしかすると、南北戦争に従軍したときにテキサス州へ派兵されてメキシコまで行ったことがあるのかもしれないと思った。
by ヤマ

'21. 5.10. BSプレミアム録画



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>