『おらおらでひとりいぐも』
監督 沖田修一

 沖田作品らしいシュール感は予告編からも窺える映画だったが、よもや地球創生から始まる命の営みの物語だとは思わなかった。寂しさ3人組(濱田岳・青木崇高・宮藤官九郎)の付きまとう独居老女の桃子(田中裕子)の昭和・平成・令和に至る人生を思うと、僕がその生の半分を過ごしている昭和の時代には、明治・大正・昭和を生きた明治気質の人物を偲ぶような作品群があったことを思い出した。

 若かりし頃に“新しい女”の生き方として、愛と自由の葛藤に生を変転させ、自由を求めて、故郷を捨てて飛び出しながら、愛に囚われ自由を捨てたと振り返る己が人生への満足と悔恨の両方を滲ませつつ、是非もなき今を生きる昭和女の姿が沁みてきた。思えば、“人情と律儀”が明治気質だとすれば、“愛と自由”が昭和気質のような気がする。自分の記憶からしても、家制度が解体された戦後昭和の若者にとっては、愛と自由こそが人生哲学の一大テーマだったように思うけれども、平成に生まれ育った人々からは余りそういう感じを受けないことに改めて気づかされたように感じた。観念論がすっかり衰退しているように思う。

 昭和の時代は、具体の即物を超えた抽象的な観念に思念が及ぶことを賢いとしていたような気がするけれども、今や現実的利益を抜け目なく収奪することが賢さで、理想や理念に囚われることは愚かなことのように捉えられるようになっている気がする。愛と自由に準えて言えば、“欲と成果”こそが人生の一大テーマとなっているのが、今の時代のように思わずにいられない。

 沖田作品を観ていると、そういう観点からの時代への異議申し立てのようなものが根っこにあるように思われる。モリのいる場所['17]に続いて、今どきの作品なのにケータイもパソコンも登場しない映画を観ながら、時に少々冗長を覚えたりもしたけれども、最後に桃子ばぁばの元にささやかに訪れる救いを温かく描いていた作品を堪能した。年を取ってくると、母語たる昔言葉と孫の存在に勝るアイデンティティはないということだろう。幼い時分の桃子もまた、ばっちゃ(大方斐紗子)にとってそうだったに違いない。

 変わりはないかと訊くだけで「ではまたお薬を出しておきましょう」と多種大量の薬を処方する掛かりつけ医と、敢えて問うたら「そういうことは国立で」といなされ、今度は3時間待たされた挙句に「しばらく様子を観ましょう」としか言えない医者の見立てより、一人でバスに乗れるようになったからと母親の元を逃れてくる孫に勇気づけられ、断った大正琴や太極拳よりも遥かにハードルの高そうな卓球をやってみる気になる姿に、大いに納得感があった。夫に先立たれたとはいえ、平成二十八年没なら連れ添った時間も半世紀に及ぶのだから、かように偲ぶことのできる伴侶に恵まれた幸いのほうが印象深い。

 もっとも、それだけに寂しさもひとしおというところなのだろうが、老女の桃子がその愛好するマンモスを引き連れ、大股でのっしのっしと歩く桃子の姿がなかなか素敵だった。そして「おらだばおめだ」の寂しさ3人組に漂う哀感と可笑しみが、捻くれ者の僕には珍しくも、あざとく映ってこなかった。ベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞している絵の中のぼくの村['96]の三婆に覚えたあざとさからすると、本作のほうが遥かにあざとい使い方をしているように見えるのに不思議なものだと思う。

 シュールな場面が頻出してくる作品だからこそ、リアル場面の細部はしっかりしていないといけないと思っていたら、桃子が亡き夫周造(東出昌大)の若かりし頃のゴキブリ退治を思い出しながら、丸めた新聞紙でゴキブリを追っていた場面でバシバシ叩いた幾度目かの新聞紙にきちんと染みがついていて感心し、『モリのいる場所』での手締めの件を思い出したりした。そのようなことをSNSで記したら、奥さんがケア・マネージャーをしている映友がこれ、本当に美術さんが凝りに凝った作品でしたね。カミさんも「これぞ独居の元気高齢者の家!」と感心してましたと教えてくれた。そういうところが丁寧な作品を観ると信頼感が増すし、何とも嬉しくなってくる。何事においてもそうだが、丹精というのは実にいいものだ。

 それにしても、田中裕子の演技は、表情・所作いずれもホントに大したものだ。いろいろなことを触発してくれる。教えられていたセールストークであろう「遠くのお子様より、近くのホンダですよ」につっ込みを入れられて恥じらいを見せていた営業マンの前で見せていたように、もう桃子が250万円を詐取されるようなことは二度とないはずだと思った。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/20111301-2/
推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2020ocinemaindex.html#anchor003262
by ヤマ

'20.11.23. TOHOシネマズ3



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