『西部魂』(Western Union)['41]
監督 フリッツ・ラング

 早くから買っていた「ライヴ演奏付き無声映画&秋の定期上映会 フリッツ・ラング vs エルンスト・ルビッチ」の連日ライヴの前売りチケットを二日分とも妻に譲って見送ったので、その埋め合わせの欠片にしたラング作品だ。

 八十年前の太平洋戦争の始まった年に、更に八十年前のことになる“ウエスタン・ユニオン電信会社による電信開通事業”を描いた物語を観ながら、諸説あるとの聞き覚えのあった「OK」の元が電信用語であると言っている場面が気に留まった。本当なのか、当時の俗説なのか、むろん僕に判定できるものではないが、思い掛けなくて面白いと思った。

 その電信会社名を原題にした映画の邦題を「西部魂」としたのはなかなかのもので、いかにも西部劇らしい舞台装置のなかで物語が綴られるのだが、クローズアップされていたのは、東部西部よりも北部南部のほうだった。南北戦争の始まる1861年に短い生涯を閉じたヴァンス・ショウ(ランドルフ・スコット)の南北分断という政治的対立の犠牲者のようにも思える顛末が哀れだった。

 測量士あがりで開通事業の“ビッグ・ボス”になっているエドワード・クレイトン(ディーン・ジャガー)の妹スー(バージニア・ギルモア)に「二年前に出会いたかった」と零していた牧童頭ヴァンスの苦衷が沁みてきた。エドワードの「恩義だって? 初対面なのに」という洒落た台詞が気に入っている。

 ヴァンスは、南軍崩れのジャック・スレイド(バートン・マクレーン)のことを終わりのほうで兄だと明かしていたように思うが、クレイトン兄妹と違ってショウとスレイドと姓が違うのは、どういう事情なのか今ひとつ腑に落ちなかった。東部育ちとは思えぬタフガイだったリチャード・ブレイク(ロバート・ヤング)にそう告げたというだけのことだったのだろうか。実の兄弟ではない兄貴分ということなら、尚更にエドワードとジャックに挟まれ、引き裂かれたヴァンスの悲劇は際立つように感じられた。

 そして、そのように観るならば改めて、その後の南北戦争によって政治的勝利を収めた北軍の側から綴られている物語であることが沁みてくる。歴史というのは、そういうものなのだと痛感できる作品でもあるように感じた。また、八十年前の映画とは思えないカラー映画の色鮮やかさにも感心させられた。

by ヤマ

'20.11.24. BSプレミアム録画



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