『ぼけますから、よろしくお願いします。』['18]
監督 信友直子

 十四年前に観た明日の記憶['05]の映画日誌には、僕の最も恐れる事態というのが“認知症発病”と書いているのだが、本当に怖ろしいのは物忘れではなく、この作品で佐伯自身が語っているように“自分が自分でなくなること”だ。見境がなくなり、記憶が失われ、自分自身が急速に壊れて行きつつある状況に繰り返し直面させられる期間が一定続くわけで、この耐え難さは、まさしく『半落ち』で、梶の妻啓子が夫に「殺してください」と頼んだのも道理だと思えるほどのものなんだろうとも記したものを、劇映画ではなくドキュメンタリーフィルムで観ることのインパクトには、どこか耐え難い程のものがあった。しかも、撮っているのが実の娘なのだ。「ほぅ」としか相槌の打ちようがない姿に、何とも言いようのないものを覚えた。

 だが、本作は作品全体としては、そう悲痛なものばかりを伝えてくるのではなく、むしろ、老老介護に弛まず取り組んでいる二人の夫婦力というか、力強さを伝えていた。実に穏やかな好い顔をした大正九年生まれの父親が何と言っても凄かった。娘が初めて観たという家事に立つ姿を齢九十代にして始めることができたのは、その歳になっても、新聞の切り抜きを続け、英語の辞書に書き込みをしつつ、独学を積んでいた彼の“本の虫”だという生命力の強さなのだろう。

 チラシには「カメラを向けて初めて気づいた。両親がお互いを思い合っているということ。」との監督の自書が印刷されていたが、観ている僕の目には、二人ともに、在京キー局でドキュメンタリー番組を手掛けて頑張っている娘に面倒を懸けたくないという思いの強さのほうが映ってきた。大正九年生まれとなれば、ちょうど十代後半の時分に日中戦争が始まり、成人して間もない頃に太平洋戦争に突入した世代だ。大学に進学して文学をやりたかったのに断念して戦地に赴いたという彼は、戦後、地元の企業で経理畑一筋に勤めあげ、結婚も四十歳前と遅れて後に生まれた娘が、彼のふみに記された“頭のいい子”だったことを誇りに、娘に好きな道を歩ませ貫かせることに自身の叶えられなかった夢を託しているようなところがあったそうだから、殊更に娘の負担になるまいとしている気がした。

 僕自身には、親の介護の経験も妻の介護の経験もないけれども、卒寿を過ぎて彼のような気概と実行を見せることができるようには到底思えなかった。耳が遠くなっていてしょっちゅう耳に手を当てていたが、実に飄々として、凄い爺さんだった。本作で「わしは100歳まで生きるから、あなたは仕事に励みなさい」と娘に言っていた彼は、本当に100歳まで生き、9歳年下の妻の最期を看取ったのだそうだ。本当に凄い人だと改めて思った。




推薦テクスト:「銀の人魚の海」より
https://blog.goo.ne.jp/mermaid117/e/012947372c510f779c87002deecfbc61
by ヤマ

'20.10.17. 美術館ホール



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