『AI崩壊』
監督・脚本 入江悠

 旧知の学友から意外と面白かったと聞きながら、後回しになっていたが、いよいよ上映最終日と知って駆け込んだ。七年前の劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっの上映会の懇親の席であれこれ話もした入江監督の作品だということもあって足を運んだのだが、いまどきの邦画エンタメ作品には稀な、実にガッツのある映画で快哉を挙げた。

 話の運びそのものは御都合主義満載なのだが、現代社会の核心を捉えて衝いている部分に、アクチュアリティがあって恐れ入った。そして、医療AIの暴走によって国中が大混乱になるや、それを使って目の上の瘤だった総理大臣を暗殺した副総理が非常事態宣言を発令して、かねて執心していた国家保安法を特別法として制定しようとするのだが、その副総理の名が事もあろうに「岸」で、演じているのが検察側の罪人の松倉役が強烈だった酒向芳だったことに痺れた。

 大衆文化において時の政権を揶揄し風刺するのは、江戸時代に遡るまでもなく、最もスタンダードな文化的なインフラとも言うべきものだという気がする。だが、国家主義的言質がデジタルツールによって大衆間において氾濫するようになった昨今では、この大事なインフラストラクチャーが壊されてきているように感じていたので、半ば感動的ですらあった。

 よもや現今のコロナウィルス問題に絡めて現政権が緊急事態宣言による私権制限を可能にする法案の早期成立を目指す事態を予見していたとは思えないが、実行犯が収監された際に「自分なんかを逮捕するよりもやるべきことがあるだろう」と嘯いていた姿には、ネトウヨの論調に乗じてか世耕参院幹事長が蓮舫議員の国会質問に対して、桜を見る会関連の質問を続けていることを揶揄したツイッター事件の底流にあるものを確信的に踏まえていたような気がする。

 古今東西、権力者が国家主義を借りて行おうとすることは、概ね“権力の私物化(日本語ではそれを独裁と言う気がする)”なのは歴史的に間違いないことのように思うのに、それを拒むことよりも群がりたがる類の人の絶えないことが哀しい。

 自己学習力を持つAIで強大な力を持ち得るシステムだからこそ、ルールを破ることを学習させてはならないという理由から、医療AI「のぞみ」のシステム開発パートナーでもあった愛妻の望(松嶋菜々子)の命と引き換えてでも、そのことを守っていた天才科学者の桐生(大沢たかお)の姿が印象深く、その文脈があればこそ、彼の言っていた「(機械ではなく)人間にしか出来ないことがある。それは、責任を取ることだ」との台詞が、現政権のルール無用の振舞いに対して痛烈に響いてくる作品になっていたように思う。いまどき、なかなか大したものだ。

 そして、実行犯の説いていた犯行正当化理由が、先ごろ第一審の裁判員裁判が結審し、程なく判決公判が開かれる相模原障害者施設殺傷事件['16]の犯人の発言を彷彿させるものだったりしていたところに、絵空事とも言えない現代社会の暗部を観るような思いが湧いた。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/20112303/
by ヤマ

'20. 3. 5. TOHOシネマズ9


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