『検察側の罪人』
監督 原田眞人

 舞台化も映画化もされているアガサ・クリスティ作の名高い推理小説『検察側の証人』をもじったタイトルの本作は、ミステリー部分はともかく映画作品としては、その名に負けない上々のエンタメ作品で、思いのほか面白かった。観終えて思わず勝新の「イヤな渡世だなぁ」との台詞が浮かんだが、あの後、沖野啓一郎(二宮和也)は、どうするのだろう。8月29日生まれの沖野なれば、観てしまったものを見過ごすことはできないのではないだろうか。最上検事(木村拓哉)もまた、それを見越して沖野を呼び出し、見せたのだろう。それらのことが判るからこその咆哮だと思った。最上が呼び出すからには何かあることを見越して予め恋人の橘沙穂(吉高由里子)に危惧を伝えたうえで了解を得ていたものの、その時点では断固拒むつもりだったのだろうが、見せられたものが沖野の予想を越えていたということだ。

 その最上が学生時分に丹野衆院議員(平岳大)たちと共に住んでいた寮の管理人の娘ユキの好きだったという歌が利いていた。都築鉄工所の老夫妻の刺された包丁が二人目のときに刃の折れていたことと同じく、まさに決め手で、松倉(酒向芳)が口ずさむのを耳にしたときの最上の形相には、このときに決意したに違いないと思わせるだけの迫力があったような気がする。敢えてマイナーな曲にしてあったのは、このためだったのかと思った。

 白骨街道の話は恐らく原作にもあるのだろう。司令官の無能によって兵士に甚大な被害を及ぼしたことで名高いインパール作戦のごとく、いまの日本は白骨街道を歩みつつあって、事は検察の問題だけではないとの時代認識が作り手の側にあるような気がする。松倉の弁護に就いた小田島弁護士(八嶋智人)の怪しげな事務所にSMチェアなどを置き、妻兼事務員の女性にケバい化粧をさせていたのは少々やり過ぎのように思ったが、人権派弁護士の重鎮である白川(山崎努)を胡散臭そうに描いていたのは、検事の業界以上に弁護士の業界も堕落していることを仄めかすことで、いまの日本の“白骨街道”を際立たせていたのだと思う。

 高校時分の僕の同窓生に昨年、検事正を退官した友人がいるのだが、きっと厳しい時間を過ごしてきたのだろうなと改めて思った。彼が5:3:2のどの検事として仕事をしてきたのかは知る由もないが、どれであったところで、安穏と道楽者を掲げて過ごしてきた僕とは、生きてきた時間の質が全く異なるに違いない。たまに会って過ごすときには同じ学び舎にいた頃と何ら違わないのだけれども。

 この日も午前中から我が家を訪れていた孫たちが、午後の定例バドミントンから帰ってきてもまだいて、娘から翌日の日曜日の予定を問われ、県が推進している健康パスポートがピンク色にランクアップして今月から三か月間、県立施設のトレーニング室やプールが無料になったから県民体育館のプールに行こうと思っていると答えると、孫息子が僕も行きたいと言うので、連れて行く約束をした。娘は助かると大喜び。そういう次第で、プールは午前九時からなのに、すっかり夜更かししてネットでSNSを周回している始末だ。
by ヤマ

'18. 9. 8. TOHOシネマズ7



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