『1917 命をかけた伝令』(1917)
監督 サム・メンデス

 オープニングで1917年4月6日(だったと思うが…)とクレジットされたので、実録的な物語かと思っていたら、画面に綴られる迫真の生々しさと相反するように、ひどく史実的事実性と懸け離れたような設えが続くことが不思議だったが、最後にアルフレッド・メンデス上等兵からの聞き取りというようなクレジットが現れて得心した。

 映画では特命を受けた伝令二人の一日の物語としていたわけだが、おそらくは脚本・監督を担ったサム・メンデスが老いた近親者から聞いていた第一次大戦の惨状にまつわるいくつかのエピソードを一日の物語のなかに集約したうえで、戦場で兵士が体験した身体感覚の描出に努めた作品なのだろう。

 戦場の実際において、一日のうちにあれほどの出来事が起こって、いくら丘陵地帯とはいえ山岳地帯の川の流れとしか思えない激流や滝があったり、戦火に見舞われた廃村で乳飲み子を匿っていた村娘の話と思いがけなくドイツ兵と遭遇して銃撃される話とが一連なりのなかで起こるとは考えにくい。だが、そのように構成して、戦場の惨劇を多角的に設えたことで、最前線における兵士がいかなるものに遭遇し心身を苛まれているかを実に生々しく描き出すことに奏功していたように思う。

 折しも世界中が新型コロナウィルスに大騒ぎしているが、戦場の公衆衛生たるや如何に凄まじいものかを再認識させられたように思う。そして、死屍累々とはこれかという有様に、その場に身を置かざるを得なくなった場合を思ってゾッとさせられるような映画づくりを作り手が企図していることがよく伝わってきた。のっけから大量の蠅が死骸にまとわりつくように飛び回っていたし、やたらと汚水を浴びるし、なかなか凄い画面だったような気がする。

 たまたま遭遇した映友から聞いたところでは、本作は、全編をワンカットで撮ったことが売りになっているらしい。だが、映友も指摘していたように、ウィリアム・スコフィールド上等兵(ジョージ・マッケイ)が仮眠した時間や明るい場所から奥深い坑道に入って視覚を失った際には、画面のブラックアウトで示されるし、かなり凝ったカメラワークによる長回しを見せてはいたにしても、とても全編ワンカットとは思えない。ところが、帰宅後、チラシを読むと確かに「驚愕の全編ワンカット映像」と色替え文字で記していた。でも、これは上記した“別々のエピソードを一連なりの場面の連続によって映し出した作品”だという説明を受けて誤訳したことから生じた間違い表記に違いない。

 とはいえ、ワンカット撮影ではないことが本作の瑕になるものでは些かもなくて、空中戦から墜落してきた戦闘機に乗っていたドイツ兵をトム・ブレイク上等兵(ディーン=チャールズ・チャップマン)が救い出す場面や伝令の二人を背後から追っていたカメラが二人から離れて水上としか思えない位置に回り込んで角度を変えて二人を追った場面の連続性など、いったいどうやって撮ったのかと思う鮮やかさだった。




推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-f74774.html
by ヤマ

'20. 3. 1. TOHOシネマズ8



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