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『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』 | |||||
監督 入江悠
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重要なモチーフとなっている“神聖かまってちゃん”というロックバンドが僕には今いちピンと来なかったせいか、最後にようやく“の子”が現れて始まるコンサートライブに高揚感を覚えられず、の子が歌い出すことで同時多発的に起こったささやかな奇跡の数々には、残念ながら素直に感じ入ることができなかったけれども、昼は清掃業、夜はポールダンサーを務めながら子育てに勤しむシングルマザーかおりを演じた森下くるみが、台詞はヘタなのに、タフに精一杯生きている女性の実在感を説得力豊かに感じさせてくれていたところが印象深かった。 聞くところによると、人気AV女優を長らく続けて引退していた人らしい。特に華があるわけではないのに、不思議な魅力があった。友だちから「あんたがイチバン切羽詰まってんだから、どれでもお持ち帰りしていいからね。私たちは遠慮したげるから」と言われていたランチ合コンの席から、虫の知らせを感じて中座し、息子の安否確認に帰宅する際に、一旦は店を出ながら、わざわざ「私に食事を御馳走してくれるって人がいたら、声を掛けてくださいね、喜んで行くから、子供連れて。」と言い残しに戻ってきた場面が気に入った。久しぶりに会ったと思しき友人たちに「どこで間違ったかなぁ、人生、やり直したいよ」などとぼやき、「離婚? 結婚? その前に子供作っちゃったのが間違いよ。養子に出すという手もあるんじゃない?」などと軽口を向けられ、「何、それ!」という顔をしていた場面が効いていて、何があろうと子供と生き延びるんだという覚悟の程とそのためには形振り構わないというタフな意思が窺えて、なかなか良かった。帰り際に言い残すのではなく、わざわざ戻って来て、効果のほどはともかく言うだけ言い残していく気迫に、家賃滞納以上の切迫感が宿っていながらも、足掻きのようには映らない妙に腹の据わった感じがあって好もしかった。 それにしても、幼い男の子を抱えたシングルマザーのポールダンサーとは、まるで『レスラー』そのものではないかと思い、上映会ゲストとして来高していた入江監督に懇親会の席で訊ねてみたら、ポールダンスの経験のなかった森下くるみに『レスラー』を観るよう勧めて、何度も繰り返し観させて人物像を掴ませるようにしたのだそうだ。道理で、マリサ・トメイには及ばぬながらも、かなりいい線いってたわけだ。 併せて、入江監督に「保育園でも何処でもパソコンを手放せない涼太(かおりの息子)とライブをオフも含めてネットで配信し続ける“の子”は、当然ながら被せてある存在なんだろうけど、の子のことは、どう見てるんですか?」と訊ねると、「あのオカシナ奴には撮影中もずっとハラハラさせられたんですけど、彼の音楽が力を持ってるのは間違いなくて、その力がどこから来てるんだろうって言えば、他にも同じことを言う人はいるにしても、の子ほどに“音楽がなければ生き延びてない”って本当に思わされる奴はいないんじゃないでしょうかねぇ。」との答えが返ってきて、成程そういうことなのかと得心できたような気がした。 懇親会には「最後のライブの場面では何度観ても涙が出てくるんです」と話していた“神聖かまってちゃん”ファンの二十歳前後の地元上映団体関係者の女性も来ていて、皆の配慮で監督の真ん前の席をあてがわれて熱心に監督と話をしていたのだが、監督が到着する前に彼女に「好きなシーンは?」と訊ねると、プロの棋士を目指す女子高生の美知子(二階堂ふみ)の“懸命に自転車を漕いで疾走するシーン”が好きだと言っていた。美知子に「恥ずかしいなぁ、彼女が将棋のプロって。ダンサーにでもなれよ」などと無神経に言っていた彼氏がコンビニで美知子の友人とツーショット写真を撮ってコンサートに誘っているところに遭遇して、怒って彼氏の股間に蹴りを入れた後に続く場面だ。かおりに目が行くか美知子に目が行くかは、やはり僕と彼女の歳の差の違いが大きいのだろうなと改めて思った。 | |||||
by ヤマ '11.10.16. 民権ホール | |||||
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