『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
監督 片淵須直

 四年前に観たこの世界の片隅にでの僕にとってのキーワード「いがんどる」は、その二年後に原作漫画を読んだときの感想に記した、すずの兄の戦死に対して皆人が立派なことだと賛辞を贈るなか、実の妹までもがそれに同調してしまわざるを得なくなっていることに対して、すずが、ある種の憤慨を以て呟いたセリフだったような気がしているではなくて、映画を観た時点の日誌に記しているそのすずにしてさえ、敗戦時には「玉砕する覚悟じゃなかったのか」と降伏を憤り、先に死んで行った者たちへの想いからくる呵責に苛まれるくらいに「いがんどる…」のが普通だったにあるように、すずが自身に対して呟いたものだった。

 この「いがんどる」との対照をなして最も重要な台詞でもある「普通」がとりわけ印象づけられる、哲とすずが納屋で過ごした一夜のエピソードに関して、翌朝、夫に初めて「夫婦ってそんなものですか!」と憤りの感情をぶつけていたすずの姿の物語っていたものが、今回の(さらにいくつもの)では大きく異なって見えてきたところが観応えだった。

 その後、周作にとってのリンの存在の持つ意味を知ることとなった彼女が“代用品”という想いに囚われて身体が強張ってしまったり、そのうえでなお、花柄模様の茶碗を届けるなかでの自身の周作やリンに対する感情体験を経るなかで、周作が哲とすずに対して取った計らいの意味を知るようになったことが察せられた。そういう意味で、本作は前作よりも夫婦の物語としては深みが増している気がする。でも、映画作品としては、フォーカスの鮮明な前作のほうが優れているように感じた。

 とはいえ、加味された「250カットを超える新エピソード」の伝えるものは、蛇足というようなものでは更々なくて、幅も深さも広げる強度を持っていたように思う。よもやリンとすずに周作と同様の幼い時分の縁があるとは思わなかったが、同時代に生きとし生けるものには、当然のようにして何らかの縁があるということなのだろう。そのうえで、深く関わる者と擦れ違って行くだけの者、出会える者と出会えないままに終わる者、別れていく者とに分かたれていくのが人の生なのだろう。そのような感慨も湧いた。

 だがそれだけに、改めて前作における割愛力の凄さを再認識させられたような気がする。前作での、原作漫画にあった極めて印象的な白木リンにまつわるエピソードを思い切り割愛する一方で、非常時における“普通”の描出を丹念に施した作家的勇気は、実に見上げたものだと思った。
by ヤマ

'20. 2.16. TOHOシネマズ3


ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>